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№870 喫茶店

№870 喫茶店

 喫茶店は昔から自由な場所だった。友達と出かけたり、恋人とデートしたり、本を読んだり、何もしなかったり、こうしてパソコンを開いてブログ記事を書いたり、何でもできる。時々、老後は喫茶店を開いてみたいなどと考えたこともあるくらいだ。


 喫茶店にまつわる最初の思い出は小学校5年生ぐらいのときだ。特別な歯医者に通うために「栄」という名古屋の繁華街に毎週通っていた。当時は、喫茶店には「純喫茶」なんて言葉があって、わざわざ「純」と書かなければならなかったくらいで、喫茶店は大人か不良の行くとこというのが一般的だったように思う。

 小学生だった私は一度入ってみたいと思い、歯医者の帰りに決死の覚悟で一人喫茶店に入ったことがある。ホットケーキを注文すると、ウェイトレスのお姉さんが寄ってきて、「一人で来たの?」とかいろいろ話してくれて、かわいがってくれた。

 中学生。私は友達と喫茶店に入り、ウィンナーコーヒーを注文した。私たち間ではフォークソングが流行し、友人はボブデュランが大好きだった。彼はいつもボブデュランをまねして歌い、私たちは拍手した。自分は何だろうか、人生に素直生きているだろうか、つまらぬプライドは捨てて自分に忠実に生きようなんてことをみんなで話し合い、フォークな生き方を考えていた。

 高校生。私は男子校生で、ある女子校生たちと一緒に名古屋の2番目ぐらいの繁華街である「今池」の喫茶店に入った。グループ同志のパーティで、私はコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れないと飲めない頃だった。女子高生たちはずっと喫茶店をよく知っていて、いろいろ注文していた。この時、私はかわいい女の子を見つけた。奥さんにはないしょかな。

 大学生。京都大学百万遍というところにある。そこに新々堂とい古くからの喫茶店がある。BGMはなく、とんでもなく大きな机が置いてあって、図書館みたいだった。煉瓦造りの建物、簡単な中庭、確か黒田清輝バレリーナの絵があったような気がする。京大が京都帝国大学だったころの名残が残っていた。専門書を広げて何時間でいる連中もいたり、いっしょに勉強している者もいた。デートの場所だったり、いろいろ使われていた。

 当時のウェイトレスは濃紺の制服を着ており、いかにも老舗のイメージがあった。私の友人はなんとウェイトレスの一人にデートを申し込んだ。彼はレシートの裏に、つきあって欲しい、できたら会ってもらえないかと書き込んで手渡したのだ。他人事ながら「ああ、恥ずかし。」、若いよね。彼はデートには成功したが、あっさり振られた。

 1920年のドイツ。ベルリンにローマニッシェスカフェという喫茶店があった。当時、ベルリンはアバンギャルドな人たちのるつぼだった。ダダイスト実存主義者、前衛建築家、多くの若い意欲的な芸術家、思想家たちがローマニッシェスカフェに集まっていた。私はこういう世界にどれほど憧れたかしれない。