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№490 農家の涙

№490 農家の涙
 口蹄疫のために牛や豚がたくさん殺されている。病気のために死に、あるいは殺されていく姿に農民はくやがり、涙を流している。あの涙の正体は何だろうか。手塩にかけて育てた牛や豚が日の目も見ないで屠殺されていくことはさぞかしつらいだろう。

 農家はに大切に育て来た牛たちが死んでいくのが悲しいという。しかし,どうせ、殺され食べられてしまう運命だったではないか。
 
 私たちは普段から牛や豚を食べている。焼き肉はおいしそうだと思うし、食べればおいしい。大昔は食べることが大変だった時代があったかもしれない。現代の先進国では食べることそのものは、当たり前になっている。私たちに食べ物になる動物たちに対する感謝は無くなっているのだろうか。
 
 妻の田舎ではかつてはどこでもニワトリを飼っており、普通に潰して食べていたそうだ。今ではお肉は全て切り身になっていて、スーパーマーケットでは牛や豚の姿をしていない。私たちはともするとそれが生きていたものであることを忘れてしまう。屠殺はタブーで、日本社会では牛を屠殺する現場を見ることは少ない。 
 
 ドイツに住んでいる友人と話したとき、ドイツでは動物愛護団体がスポンサーになって、屠殺現場の映像をテレビで流してるそうだ。彼らはベジタリアンを増やしたいらしい。ドイツのレストランではベジタリアン用のメニューはけっこうあった。
 
 多くの文化が生き物を殺して食べることに後ろめたさを感じている。後ろめたさは生き物に対する感謝となってあらわれている。人は自然に感謝し、自然の恵みをもらって肉を食べる。
 スーパーでしかお肉を見ない私たちも、それでも私たちは牛は屠殺され食肉になることは十分知っている。だから、私たちでもどこかに生き物を殺して食べていることに後ろめたさをほんの少し持っている気がする。ほんの少しでも感謝の気持ちを持っているような気がする。
 
  多くの文化が生き物を殺して食べることに後ろめたさを感じている。後ろめたさは生き物に対する感謝となってあらわれている。人は自然に感謝し、自然の恵みをもらって肉を食べる。

 スーパーでしかお肉を見ない私たちも、それでも私たちは牛は屠殺され食肉になることは十分知っている。しかし、屠殺はタブーで、普段はそれを意識しないようにしている。でも、私たちはどこかに生き物を殺して食べていることに後ろめたさをほんの少し持っている気がする。それは、ほんの少しでも感謝の気持ちを持っていることの裏返しではないだろうか。
 
 だから、無駄に死んでいく動物たちに対し、悲しい気持ちになるし、生命の尊厳が踏みにじられているような気持ちになる。やがて、屠殺され死に行く動物であったとしても、無駄に死ぬことについて私たちは悲しい。