京セラフィロソフィは中小企業も勉強する価値がある
京セラ稲盛和夫さんは京都の町工場から大きく成長し,KDDIの成功,JAL再生と困難を克服してきた。盛和塾機関誌118号にはJAL再生の過程がレポートされている。官僚的で会社は他人事のようだったJAL社員の意識を変革すること過程は中小企業も勉強の価値は十二分にある。
ティール組織の理念
私は「主体的個人」という考え方を重視している。人生においても自分の人生は自分で選ぶ,自分の考えで自由に人生を作るということが最も重要な価値観だ。一方で事業を拡大するためには組織は必要だ。組織を通じて自分一人ではできなかったこともでき,自己実現の領域も拡大する。ティール組織はこの両方の考えを矛盾しないものととらえる組織文化のあり方だ。
企業は公共のものでみんなのものだ。社長のものではない。
そのためには組織は公共のもので誰もが自己実現の場として生活することができる,組織の拡大は自己実現の領域の拡大である,よい仕事はよい成果を生み,結果として物的なニーズも満たされていく,こういう組織にならなければならない。仲間は競争相手ではない。自分の仕事だけする冷たい仮面をかぶった人間でもない。お互いに助け合い,高め合う信頼できる仲間であるというのがティール組織の基本的考え方だ。
経営理念,経営哲学の導入は個人に警戒される
このティール組織の発想と稲盛哲学とは重なるところが多い。
しかし,こうした価値観を組織に導入するときに常に個人には強い警戒感がある。官僚的な組織文化を持つJALが,ある意味中小企業的な京セラ稲盛哲学を受け入れる過程は大変だったかもしれない。しかし,倒産企業社員となってしまったJAL社員は誇りと自信を失い,こうした自発的組織文化に飢えていたところがあったかもしれない。
JALへの稲盛哲学導入時,少なからず警戒された
機関誌記事には社員たちの戸惑いの声が紹介されている。
「とかく教育とか研修とかいうと,考え方を押しつけられる,知識を覚えさせられる,スキルを詰め込まれるといった既成概念があります。JALフィロソフィも最初の頃は,思想的に強要されるのではと危惧されていました。」(125頁)
この「思想的に強要されるのではないか。」というのは自律的な人間であればあるほど強く,これに対する反発から改革に対して冷めた目で眺めることになる。これは自我のための一種の自己防衛なので気持ちはよくわかる。
実際,このような社員の次の発言が紹介されている
ある先輩アテンダントが「JALはよくならない。つぶれればよかった」と発言した。いままでなら黙ってそのままになるところ,ある若い社員がJALに対する自分の思いを先輩にぶつけ,次から次へと若い社員が自分の意見を述べ始めた(129頁)。
「フィロソフィ(JAL哲学)には人間として,また企業人としてあるべき正しいことが書いてあるがゆえに『今さら改めて言われなくても,こんなの当たり前だ』という意見もたくさん耳にしました」(130頁)
JAL改革には人に負けない努力がある
ドキュメントを読んでいるとJALの意識改革のスピードはものすごいものがある。
リーダー教育
2010年6月1日から7月17日の47日の間に17回JALリーダーズ教育が実施された。「毎週月曜日から金曜日のうちの3日間に土曜日を入れて,4日間」,午後8時か9時ころまで実施され,その後にレポートを提出する,稲盛会長の講話とグループ討論,コンパと行われている。そんな中,経営者意識や「人間として何が正しいか」という軸が生まれてきた。
JALフィロソフィの確立
このリーダー教育が終わった後にJALは企業理念とフィロソフィの策定に向けて取り組みを始めている。7月から始まり翌年1月に発表するというスケージュールが組まれ,最終的にはJALフィロソフィ手帳を配布するところまで議論するいうところまでもっていくことになる。
感動的なJALの経営理念
JALグループの企業理念は「JALグループは全社員の物心両面の幸福を追求し」と始まっている。一度倒産した企業,あいつぎ同僚が辞めていく中,この理念は会社に残る意味を強烈に印象づけたに違いない。この会社にいることで物心両面の幸福を追求する,それがJALに残る意味だということになる。
「専務と相談し,一部は『すばらしい人生を送るために』として,JALの社員という前に一人の人間として持つべき考え方を集めました。その一部をベースに第二部は『すばらしいJALとなるために』として,JALの社員としてどうあるべきかというフィロソフィを編みました」(114頁)
こうして,JALは一人一人が経営者となり,人間として正しいかを基準にした経営を始めたのである。
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