№1975 オヤジ「人生を大いに語る」ぞ
3人の子供の末っ子なーちゃんがついに大学を卒業する年がやってきた。
我が家もいよいよ子育て終了というところか。
我が家の教育は妻に任せきりでオヤジは何もしてこなかった。彼らにはオヤジの背中なんて無いんだろうね。しかし、どこかでオヤジの人生を語りたい。子供らに対して、そんなエゴイズムは許されるんじゃないんだろうか。
我が家は毎夏北軽井沢の別荘で過ごすことになっている。いつもはテニスやつり、ピクニック、旧軽井沢でお食事と避暑生活を多いに楽しむのだが、今年は子供らに命じて、お父さんのために4時間ぐらい時間をとってもらうことにした。
命じるというのなかなか気持ちのいい言葉だな。我が家の子供らは小さいときから勉強し、食事を作ってもらい、時に塾の送り迎えをしてもらい、至れり尽くせりだった。お手伝いなんてとんでもない。彼らは命ぜられたことなどないんじゃないかな。ほんと、甘えてばかりの連中だ。
でも、4時間の講演となると相当な準備が必要となる。
私の生い立ち、時代的背景、自分の凡庸さに死ぬほど辛かった青春時代、どんよりとした大学時代、弁護士になってむさぼるように生きた時代、いままた次の世代を考える時代への突入、時間を追えばいくらでも話せるような気がする。
大変なジェネレーションギャップのある彼らには、さぞかし退屈な時間になるのでしょうね。しかし、そんなことはどうでもいい。大切なことはオヤジが「人生を大いに語る」ことだ。自分のエゴイズムを存分に出して「人生を大いに語る」ことだ。子供なんてどうでもいい。もう、子育てなんて考える必要はないんだからな。
彼らがなんと思うかなど知ったことではない。
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