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№1510 それでは嫁に行けぬ

№1510 それでは嫁に行けぬ

 83歳になるばあさんは子供の頃,自分の祖母,私のひいばあさんに育てられたそうだ。自分の母親は農業や家業の焼き物で忙しくて子供の面倒まで見切れなかったようだ。確かにかつては子供を預かるのはばあちゃんの役目だったような気がする。

 ともかく,うちの83歳のばあさんのそのまたばあさんは「テル」という名前で,何でも明治20年ぐらいの生まれだったらしい。岐阜の片田舎での生活なのだが,ばあさんの話によるとテルさんは人力車で嫁にきたらしい。テルさんの時代はまだ岐阜県東濃地方には鉄道はなかったようだ。関係ないが,テルさんは女でありながら尋常小学校6年生まで在籍したことが自慢だったようだ。

 テルさんに育てられたばあさんはいろいろ厳しく仕込まれたようだ。
 食事の仕方,洗濯物の乾し方,裁縫とかいろいろあったようだ。「それでは嫁に行けない」というのがテルさんの口癖でうるさかったそうだ。何かあると蔵に投げ込まれたようだ。そんな時はばあさんは蔵の二階に上ってタンスにしまってった掛け軸なんか見てたらしい。

 でも,83歳になってばあさんはテルさんのことを思いだし,今の自分に重ねている。テルさんに育てられてよかったとも言っている。三つ子の魂死ぬまでとはよく行ったものだ。

 私もひいばあちゃんのテルさんは覚えている。ひいばあちゃんなので,私が子供のころでもすっかり年をとり,私に向かって「みつこか」といきなり,母の名前を呼んだのにはたまげてしまった。

 ひいばあちゃん,たぶん私が覚えているのは90歳を超えていたのではないかと思う。しわだらけで,口をもぐもぐして,目も耳の悪かった。いつも母の実家の縁側でただ座っているか,自分の寝室でテレビを見ているかしてじっとしていた。ひ孫が遊びにくると必ず買い置きの飴をくれた。なんだか,平和な人で何もぐちを言わず,いつだったか忘れてしまったが,風で寝込んで1週間で亡くなってしまった。

 うちのばあさんはテルさんみたいに生きて,テルさんみたいな平和な最後でいたいと思っているようだ。「私の人生は本当に幸せだった」「何にも言うことはない」「まさちゃん(ばあさんと同じく長生きしている友達)が言うの,みっちゃん,どうしてあんた思った通りになったがねって。」

 今のばあさんはただ心を穏やかに,物忘れが進んでいくのもそんなものだと思い,テルさんのことも時々思い出し,毎日を満足して生きている。