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№855 天を恨まず

№855 天を恨まず
 気仙沼市立階上(はしがみ)中学校の卒業式における答辞が文部科学白書に掲載され話題になっている。
 
 「命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし,苦境にあっても,天を恨まず,運命に耐え,助け合って生きていくことが,これからの私たちの使命です。」
 この言葉が全国に深い感動を与え、多くの人を勇気づけている。
 
 文部科学白書9ページより → http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab201001/1311678_003.pdf 
 
 私たちが「天」という言葉を使う時、それは常に前向きな意味を込める。天は私たちに必ず役割を与え、私たちは天命を信じて活動する。天の摂理に無駄なものはなく、天の秩序は必ずや大きな調和や正義を目指している。古代中国の昔から人々は「天」の意味を考え深め、私たちはその思想を大なり小なり受け継いでいる。
 
 たぶん、「天」というのは、私たちの仲間、私たちの社会、私たちの歴史の何もかも一体として結びつけようと言う人類の叡智なのだろう。だから、「天」のことを考えると、自らの役割を自覚し、私たちの愛する人、愛する社会、いにしえの人や未来世代、森羅万象とのつながりに思いを寄せる。
 
 

卒業生代表の言葉
本日は未曽有の大震災の傷も癒えないさなか,私たちのために卒業式を挙行していただき,ありがとうございます。
ちょうど十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。
私たちは,そのキラキラ光る日 差しの中を,希望に胸を膨らませ,通い慣れたこの学舎を,五十七名揃って巣立つはずでした。
前日の十一日。一足早く渡された思い出のたくさん詰まったアルバムを開き,十数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らずに…。
階上中学校といえば「防災教育」といわれ,内外から高く評価され,十分な訓練もしていた私たちでした。しかし,自然の猛威の前には,人間の力はあまりにも無力で,私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには,むごすぎるものでした。つらくて,悔しくてたまりません。
時計の針は十四時四十六分を指したままです。でも時は確実に流れています。生かされた者として,顔を上げ,常に思いやりの心を持ち,強く,正しく,たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし,苦境にあっても,天を恨まず,運命に耐え,助け合って生きていくことが,これからの私たちの使命です。
私たちは今,それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても,何をしていようとも,この地で,仲間と共有した時を忘れず,宝物として生きていきます。
後輩の皆さん,階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が,いかに貴重なものかを考え,いとおしんで過ごしてください。先生方,親身のご指導,ありがとうございました。先生方が,いかに私たちを思ってくださっていたか,今になってよく分かります。地域の皆さん,これまで様々なご支援をいただき,ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
お父さん,お母さん,家族の皆さん,これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。必ず,よき社会人になります。
私は,この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に,本当に,本当に,ありがとうございました。

平成二十三年三月二十二日
第六十四回卒業生代表
梶原 裕太