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№1740 京都大学

№1740 京都大学

 私の出身大学は京都大学だ。最近になっていろいろ京大時代の同窓生が集まる機会が増えている。みんな私とは全く違った人生を送っているのに、会ってしまえばすぐにあの時代にアジャストされてしまうのは不思議なことだ。

 つい先週も私たちの仲間の一人が急死したことから、彼を偲んでみな集まった。中には卒業以来はじめて会う仲間もいて、実に楽しい時間だった。楽しく過ごすとは不謹慎だが、亡くなった友人も喜んでくれるだろう。

 学生時代、京大には私たちのたまり場があった。たまり場は今も残っていて、中には入れなかったが私たちは煉瓦造りの学舎を懐かしく眺めていた。法学部入り口に大きなクスノキがあって、「この木は太くなっているのだろうか。」などと話していた。

 吉田神社の参道に入り、京大教養部(今は総合人間学部)の門がある。ぼろぼろの貧相な門なのだが、昔のままだ。ナカニシヤという本屋はなくなってしまっていたけれど、遠くに見える吉田神社の赤い鳥居は変わっていなかった。

 教養部の門を過ぎると本学正門につく。正面には京大の時計台がある。
 私が学生だった頃はまだ学生運動の余韻があって、ヘルメットをかぶった連中が時計台前で機動隊とつばぜり合いをしていた。でも、当時でもすでに化石のような光景だ。毛沢東が死んだときには「哀悼!毛沢東。」の大きな立て看板が立てられていて、なんだか驚いた。

 当時の私たちには何か時代を作りたいという気持ちがあったような気がする。マルクス主義を勉強してみたり、ハイデッカーを批判してみたり、ユングフロイトを比べてみたりしていた。私の文学部の友人は岡倉天心の勉強をしていた。なんでも東洋主義も偏見なく見てみる必要があるのだそうだ。

 今の学生からは信じられないかもしれないが、人間とは何かというような議論もしたことがある。本当の幸せとか、「美」とは何かというような議論もあった。しかし、たかか学生の考えたことだからしれている。私は法学部だったので、犯罪者をなお愛することはできるかとか、肉親を殺した殺人犯を弁護できるかとか、訳の分からないことを考えていた。

 でも、今から見ると本当は何もしていなかった。何もかもが上滑りで、何一つまじめなものがなかったような気がする。これは私だけかもしれませんけどね。


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