名古屋・豊橋発,弁護士籠橋の中小企業法務

名古屋,豊橋,東海三県中小企業法務を行っています。

№22 弁護士とは何か。

 最近は弁護士が主人公となるテレビドラマが多い。社会の弁護士に対する見方は多様だ。大企業の法務に従事し,大型M&Aや国際貿易の分野など多くのスタッフを抱えてスマートの活躍する弁護士,このタイプの弁護士の多くはお金持ちだ。私達はこうした弁護士をコーポレットロイヤーなどと呼んでいる。市井にあって,交通事故や相続,離婚など人々が日常的に接する事件を処理する弁護士,これは大部分の弁護士層で,中小企業の法務のほとんどはこのタイプの法律家が担っている。私達はこうした弁護士をドメスティックロイヤーと呼んでいる。これは大企業と中小企業との関係によく似ているかもしれない。弁護士も依頼者の層によってタイプも異なってくるのだ。
 もちろん,弁護士の分類もこんな単純なものではない。お金のために何でもやるとうような危険な弁護士もいるだろう。いつも救急車を追いかけてはやたらと裁判を持ちかける弁護士はアンビュランスロイヤーと呼ばれている。米国では持ちたくない隣人として弁護士と揶揄する本も少なくない。
 しかし,弁護士となったからには正義のために働きたいと願う弁護士は多い。法は本来社会的弱者のために存在する。等しく与えられているはずの基本的人権が侵害された時,人々が頼る最後のよりどころは法だ。私達は社会的弱者が人間性を回復するために奉仕する職業だ。私は常に人権派弁護士でありたいと思うし,私の事務所はそうした人権派弁護士を養成する事務所でありたいと思う。
 ところで,人権擁護というのは一つの運動として理解しなければならない。個別の人権課題の中には必ず社会的矛盾が存在する。こうした人権を取り巻く環境そのものを理解し,社会全体を変えていきたいという視点がなければ人権問題は解決できない。公害事件はその典型的な例である。水俣病などの目をそむけたくなるような被害を前に我々の先輩弁護士はこの人を助けなければならないと強い使命感を持ち,裁判を通じて社会を説得し,社会を説得して裁判を勝っていくという闘争を繰り広げた。大なり小なり,人権事件はこうした社会的連帯の中で解決するという考えで貫かれている。そのため,人権派弁護士の連帯意識は非常に高い。
 小学校で講演したときになぜ弁護士になったかと聞かれたことがある。子供には簡単に答えなければならないから大変困ってしまったが,そのときに私は「正義の味方になりたかった。」と答えた。正義というのは大上段で時にまやかしが多い。正義の名の下にいろいろな偽善や,不正があるからだ。しかし,弱者の立場に立つという法的正義は現代憲法下の社会では絶対である。弁護士は正義を職業として語れる誇り高い職業の一つである。