名古屋・豊橋発,弁護士籠橋の中小企業法務

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№779 大学での講義

№779 大学での講義
 ある大学で弁護士という職業について講義することになった。昨年まで名古屋大学法科大学院で講師をしていたのだが、「弁護士という職業」となると勝手が違う。どうしたもんだろう。

 私は2、3年に1度ぐらいの割合で小学校の授業を任される。小学生たちに弁護士の話をするのはとても難しい。私は小学生に「弁護士は正義の味方だ。」と伝えることにしている。もちろん、弁護士の中には悪いやつもいる。しかし、総じて弁護士は正義の味方だ。職業の中でも「正義」を堂々と言える職業は少ないのではないかと思う。

 今回の講義の目的は、単に「弁護士という職業」がテーマではなく、中小企業にとって弁護士の役割は何か、弁護士という職業はどのように機能しているかというのがテーマだ。何しろ、商学系学部なのでこんなことになっいる。こうなると単に「正義」というだけでは済まなくなる。

 それはまず、事業活動にとって「正義」はどこに発揮されるかという点にある。
 経済的正義というものがあるならば、それは取引社会では常に「自由」が保証されなければならない。商業分野というフィールドに誰でも参加の機会があり、正当に事業が評価され、利益を拡大する機会が与えられる。このルールに貢献するのが独占禁止法であったり、不正競争取引法であったりする。

 経済的正義という点をさらに発展させれば、実質的な平等という点も重要だ。中小企業は社会経済的に弱い立場にあるため、自社の商品が正当な価格で評価されない傾向にある。これは中業企業自らの努力が足りないという面もあるが、中小企業故に機会にめぐまれないということもある。これを行政、NGOなどの手によって機会を作り上げるということも考えられる。

 さらに発展させて、中小企業の存在自体の公共性ということも考えられるのではないだろうか。中小企業の特徴は経営者と会社との分離が進んでいないことだ。企業が地域に「」住む」ことで、地域の文化を創り上げることになる。私たちの日常生活のほとんどは、中小企業によって支えられている。自動車はメーカーが作るが、売っているのは中小企業だ。部品も中小企業が作っている。こうした、中小企業の存在意義から中小企業の公共性という考えも悪くはないのではないかと思っている。

 こうした、中小企業にとっての経済的「正義」という点から講義が組み立てられないか考えている。