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№1020 哀悼 吉田秀和

№1020 哀悼 吉田秀和

(読売新聞) 2012年05月27日 18時16分
クラシック音楽評論の第一人者で文化勲章受章者の吉田秀和(よしだ・ひでかず)さんが、22日午後9時、急性心不全のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。
98歳だった。告別式は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。喪主は長女、清水眞佐子(まさこ)さん。

 私はクラシックの門外漢だが、吉田秀和のラジオ番組「名曲のたのしみ」のおかげで、クラシックをよく聞くようになった。

 もう30年以上前の話になるが、私は京都大学に入学したが、だんだん大学に通わなくなってしまった。昼間は下宿でじっとしていて、午後になるとサッカー部の練習に出かけるという毎日を送り、そのうち、そのサッカー部も辞めてしまった。

 いま思うと、京大はとても自由で、確固たる自我を持たない私は自由の使い方が分からず方向を見失っていたように思う。このころの私は毎日のようにジャズ喫茶に通ってはジャズを聴き、音楽や文学に関する評論、社会問題に関する新書本を読みあさっては、恋人に自分の感じたことを懸命に手紙にしていたように思う。自分はとても孤独だと思い、泣きたくなるような毎日だった。

 ジャズ、ロック、民族音楽とFMラジオの音楽番組を片っ端から聴き、録音していたのもこのころだ。その一つに吉田秀和の「名曲のたのしみ」があった。彼は番組の中でモーツァルトやベートーベン、マーラーショパンと言った曲を取り上げ評論した。クラシックに限らず、私は音楽の門外漢だったが、彼の評論はわかりやすかった。

 音楽の中にある「人生の姿勢」を伝える要素、美に対する共感であったり、人生に立ち向かう姿勢であったり、天才的なひらめきであったり、そういった「人生の姿勢」としかいいようのない本質的な部分を教わったように思う。自分が分からず、荒廃しつつあった私にとって吉田秀和の語りは救いの一つだったと思う。

 彼のおかげで私はモーツァルトが大好きになり、K556を繰り返し、繰り返し、今になっても繰り返し聴くようになった。哀悼、吉田秀和