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№43 赤福事件の教訓 その5(家訓)

 赤福は「赤心慶福(せきしんけいふく)」に由来し,赤子のように素直な気持ちで、他人の福を自分の福のように喜ぶ心を表しているという。伝統ある商家には家訓があって,その内容は商売の心得を超えた人格形成の指針にもなっている。どのような組織理念も,コンプライアンス体制も組織を率いる者,組織を構成する者の心に落ちていなければ言葉の遊びに過ぎない。
 江戸時代から続く商家の家訓は荒田弘司の著作に詳しい。商家の家訓はその言葉自体も深みがあるが,それが長く家を支えていたと思うといっそうありがたい気がする。「先義後利」とは江戸時代の商人「大文字屋」こと大丸の創始者下村彦右衛門の言葉であるし,住友家家訓には「苟も浮利に趨り軽進すべからず」,「一時の機に投じ目前の利に趨り,危険の行為あるべからず」とある。明治の豪商茂木惣兵衛は「徳義は本なり,財は末なり,本末を忘るる勿かれ」と家訓を残している。現三越創始者三井高利の母,三井殊法は「売りて悦び,買いて悦ぶ」をモットーとして商売をしていたという。これらの家訓はみな自分の商売が長く続くように,大きくなるようにと願って作られていったに違いない。
 こうした,家訓の重要性は組織の文化を作り上げていく上で重要であるし,組織の文化を信用という営業上の利益に結びつけていく上でも重要だ。「赤心慶福(せきしんけいふく)」などと言われると赤福餅を食べたくなってしまうから不思議だ。しかし,赤福の場合トップが理念を理解せず,営利を優先したことに大きな落とし穴があった。「先義後利」,急がばまわれの教訓は生きていなかった。企業は利益をあげなければならない。日常の業務も大変だろう。社長は全て一人で決断する。企業文化の恐いところはこうした企業という小さな世界で全てを判断する点である。企業家はもっと交流して自分の企業が社会に通用するかどうか絶えず検証する必要がある。