№341 紀伊国屋文左衛門
元禄(げんろく)時代(1688~1704)の豪商。通称紀文、俳号千山(せんざん)。若年のとき暴風雨をついて故郷紀州(和歌山県)から蜜柑(みかん)船を江戸へ回漕(かいそう)し巨利を得たことや、遊里吉原での豪遊の話などで知られるが、その経歴は伝説化され、確かな史料に乏しい。
(Yahoo 百科事典 2009/10/11)
貧しい農家から身を起こし、一代で巨万の富を築いた上、儲けた金を惜しげもなく吉原で使っていった紀伊国屋文左衛門は今でも伝説的な存在だ。私だって、お金を湯水にようにつかってみたい。
吉原では「大尽」と呼ばれ、大尽舞がうたわれた。人々は金にあかした勝手気ままな振る舞いに自由さを見て、浮き世の憂さを晴らしたに違いない。
元禄時代と言えば、バブル経済の真っ最中。平和な時代を迎えて戦費があまった上、米の生産量が飛躍的に拡大してお金が余っていた。一方で、商業の発達は十分でなく、商業に対する規制も厳しかったそうだ。この規制が厳しさのため、余った金は投資先を失い、ただただ浪費に使われていった。
この浪費に伴う、気前の良さ、新しい文化の香りはただバカだという訳にもいかない。実際、紀伊国屋は今でも多くの人を引きつけるキャラクターとなっているところから、成金、大金持ちが創り上げてきた文化もむげにはできない気がする。日本が元禄文化を経験した意味は大きい。
元禄バブルが終わり、江戸時代には商人が次々と登場する。商人たちは実力を蓄え、社会の重要な構成員となっていくのである。
この時代、石田梅岩は「売買ならずは買人は事を欠き,売人は売れまじ.左様になりゆかば商人は渡世なくなり農工とならん.商人皆農工とならば,財宝を通はす者なくして,万民の難儀とならん」と説いた。
http://blogs.yahoo.co.jp/lawyerkago/18693699.html
近江商人や三井、住友などの豪商たちは、家訓を作り、事業を組織化した。商売は社会に奉仕するものと考え、事業に持続性を求めた。紀伊国屋文左衛門のような、一時の閃光のように消えていく商人は姿を消していく。