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№1630 半途而廃 途中で投げ出す

№1630 半途而廃 途中で投げ出す

 半分で止めてしまうという意味かな。先月号の中国語雑誌「聴く中国語」に「半途而廃」という言葉が紹介されている。

 これは中国,紀元前300年のころの故事に由来する中国語だ。日本語にはこれはないですね。

 紀元前300年ころ,中国河南に楽・羊子という人物がいた。良妻に恵まれたので家を任せて,家を出て学問を求めて遠方に出ていた。しかし,途中で家が恋しくなって帰ってきてしまった。

 愛する妻がいるところに戻ってみると,妻は喜ぶと思いきや逆に詰問されてしまった。

 「学問は成就したのですか。」
 「まだだが,家を離れて久しいので恋しくなった」

 そういったとたん,妻はせっかく完成した絹の布を半分に切ってしまった。

 絹は蚕の糸を1つにつなぎ一寸にし,さらに糸を織り込んで布にする。ひとつひとつをつなげて初めて1つの布ができる。あなたが途中で帰ってくることは,このつないだものを断ち切ってしまうのに等しい,というのだ。

 中国では春秋時代から戦国時代に遷り,新しい官僚層が登場してきた。学問を成し遂げて政治の場で生かして歴史に参与するというのが男子の誉れでもあった。

 妻に一喝された楽さんだが,その後,心を入れ替え7年間修行を積み,学を成し遂げやげて魏の文侯に使えたということだ。

 何も布を切らなくたっていいように思うのだが,ある種の驚きの行為をもって「喝」を入れるのと言うのは中国ではよくある故事だ。

 この「志」では,かの野口英世先生も福島の実家を出るとき「志ならずんば、再びこの地を踏まず」と柱にほったそうですが,こういう「志」というのはほとんどなくなっちゃってますね。

 ちなみに野口先生はこの詩を意識したと思うのですが。

男児志を立てて郷関を出ず
学若(もし)成る無くんば復(また)還らず
骨を埋る何ぞ期せん墳墓の地
人間(じんかん)到る処青山有り

 もっとも,このような故事のある「半途而廃」だが,香港ではポップな歌の題名になっている。とてもよい歌です。  


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