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№1116 働くものの満足

№1116 働くものの満足

 ドラッカーによると「仕事」と「仕事する」とは違うという。仕事した結果である「仕事」は成果であり、「もの」である。成果である仕事は人間と切り離すことができ、目標を設定することができる。分析も可能だ。

 一方、働くことは人と切り離すことはできない。成果である仕事を分析し、合理化、高度化させることはできる。しかし、最後は担い手は人である。成果をあげるために労働者に達成感を得させる必要がある。その達成感は単純な分析では済まされない。

■ 肉体的側面
 マネジメントの世界で、担い手である「人」に注目する場合、何よりも「人は機械とは違う」ことに注意する必要がある。人には肉体的な限界もある。肉体的、生理的な健全さなくして人は持続的に働くことはできない。

 当たり前だと思うかも知れないが、経営者は往々にしてこのことを忘れがちになる。特に一生懸命働いている経営者ほどこのことを忘れがちにある。例えば「俺がこんなに働いているのにおまえらはなんだ。」という感情がわくことはないだろうか。「俺は有給なんか無いぞ」と言ってのけてしまうことはないだろうか。労働時間、残業、休日出勤、有給、健康管理、こうした基本的な作業はきちんと守らなければならない。

■ 心理的、社会的側面
 また、ドラッカーは言う。
 「仕事は呪いであり祝福である」と。仕事するは自己実現でもある。仕事することが社会奉仕であり、尊敬に値することだという価値観が私たちにはある。規律ある生活を送り、それが社会とのかかわりももつ。私達は仕事を通じて社会の中にポジションを見いだしていく。

 こうした、仕事そのものの内面にかかわる部分と社会との関係に関わる面とが調和させることも必要だ。人はパンのみのために生きるわけではない。仕事をまじめにしていることによる自分に対する誇り、仕事を通じて社会に貢献しているという倫理的な達成感などが大切にされなければならない。

■ 経済的な側面
 仕事は生計の糧である。一方で企業にとってコストでもある。生み出された利益はどのように分配されるべきだろうか。働くものにとっての生活水準の保障は不可欠だ。企業がそれを守れないのであれば、働くものはそこにいる必要は無い。しかし、企業としては生み出される生産の範囲でしか利益を分配することはできない。生み出された価値は次の投資に向けなければならないかも知れない。

 こうしたせめぎ合いの中で賃金は決められていくのであるが、実際のところは非常に難しい。私は労働者との間のある種の合意のプロセスを作って決めていくより他はないように思っている。人の意欲に関わるものであるい以上、人が納得しなければ動かすことはできない。経営者としては納得のプロセスを怠る訳にはいかないだろう。


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