№508 The responsible worker (2)
(前号からの続き)
もちろん、X、Y、どちらかということはない。この議論はむしろ、X理論にこだわりすぎるアメリカ流のやり方からの脱却を求めている。つまり、アメとムチという単純な理屈によるコントロールはもはや古い。さらに働き手に達成感ややりがいを持ってもらうことこそが重要であるのである。
この達成感、Y理論の中身こそが重要だ。
しかし、ドラッカーはY理論によって、働き手に責任を持たせることは、「働き手に『甘い』内容ではない。」というのである。責任を持たせるというのは働き手にとって大きな負担を求めることになると言う。なぜなら、労働者は自分の判断でものごとをあんばいよく進めなければならないからだ。
しかし、ドラッカーはY理論によって、働き手に責任を持たせることは、「働き手に『甘い』内容ではない。」というのである。責任を持たせるというのは働き手にとって大きな負担を求めることになると言う。なぜなら、労働者は自分の判断でものごとをあんばいよく進めなければならないからだ。
こういる発想は本当の奥が深くておもしろい。
そして思わぬ形で、定式化し、単純化した問題提起をする。
ドラッカーはここで、物事を単純化しない。リアリズムからより実践的な提案をする。ドラッカーは次のように問題提起する。
「自分の状況はどちらが適しており、今の状況で自分はどのように仕事と部下をマネジメントすればよいか。」
そして思わぬ形で、定式化し、単純化した問題提起をする。
ドラッカーはここで、物事を単純化しない。リアリズムからより実践的な提案をする。ドラッカーは次のように問題提起する。
「自分の状況はどちらが適しており、今の状況で自分はどのように仕事と部下をマネジメントすればよいか。」
これは、仕事の現場と労働者(働き手 worker)との関係こそが大切だというのだ。この「関係」に対して、マネージャーは生産目標や品質といった責任を課することになる。そこには、X軸的な「アメとムチ」もある。Y軸的は責任を立派に成し遂げる「達成感」もある。職場での友情、連帯感も生まれる。
(次号に続く)