№390 花の下で死にたい
勝海座談を読んでいると、勝海舟がなんだかお師匠さんのように思えてくる。勝海舟が大物だと評価すれば大物と思えてくるし、小物だと評価すれば小物に見えてくる。そんななか、勝海舟が最大の賛辞を惜しまないのが西郷隆盛だ。人物の大きさというのは計り知れない。「大きくたたけば大きく響き、小さくたたけば小さく響く」。
西郷が初めて勝に会ったときから西郷は勝を信頼している。西郷は大久保にそのことを手紙を出しているが、「とんと頭を下げ申し候。」「現事に候ては、かの勝先生とひどくほれ申し候。」とべたほめだ。西郷と勝との出会いは双方が人物の大きさを認め合うというドラマッチックなものだったらしい。
横井小楠も随分高い評価を受けている。横井小楠は「太鼓持ちの親方みたいな人で、何を言うやらとりとめなかった。」らしい。勝はだいたい大風呂敷を広げる人物が大好きで、横井小楠がとりとめなく途方もなく大きな事を言うことを聞いて、本当に驚いていたのだろう。大きな話は、人からはばかばかしいが、大志ある者にとってはわくわくするような痛快さがある。
勝海舟が古来の人物で、高い評価をしているのが西行法師だ。一身を風雅に託し、顧みなかった人生は勝にとっても強い憧れだったようだ。
後鳥羽院は西行をこんな風にほめている。
「西行はおもしろくて、しかもこころ殊にふかくあわれなる。ありがたく、出来しがたきかたもともに相兼ねてみゆ。生得の歌人とおぼゆ」(後鳥羽院御口伝)と絶賛した。「生得の歌人」とはすばらしい表現ではないか。西行の人生は、余り知られていない。短歌の高い能力と謎の人生は、多くの物語を生んでいる。
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
とは、西行末期の歌であるが、孤独、隠遁生活の後に、満月の夜、花の下で死ねれば本望だろう。人生でのこういう美学というのはもうすっかり無くなっている。私も、もしかなうなら、誰も知らない間に死に、私の死体を肥やしに花が咲ような末期を遂げたいと思う。