№1030 カルロス・サンタナと哀愁の焼きうどん
私の京都時代の友人に純情で子供のような画家がいた。彼の絵は原色がけっこう使われていて,ネイティブアメリカン風のところのある力強い線だったと思う。彼の周りには画家仲間だけでなく,詩人や音楽家も集まっていて,みんな彼のことをサンタナと呼んでいたし,彼も自分のことをサンタナと呼んで欲しいと言っていた。
私が何でサンタナなんだと聴いたら,自分はカルロス・サンタナが大好きだからだと答えていた。妻は詩人だ。京都のお寺に仲間が集まり詩の朗読会を開いたことある。彼女はこれまで人の手によって滅んだ野生生物種を順番に読み上げていった。
カルロス・サンタナは哀愁のギターで有名だ。私の学生時代などはあらゆるところで,サンタナのギターが流れていたものだ。サンタナの哀愁は庶民の哀愁だ。私にとっては深夜喫茶の哀愁だ。ヨーロッパの哀愁なんかじゃない。深夜喫茶で友だちとぼんやりして過ごし,焼きそばか,焼きうどんを食べている感じが私にとってのサンタナのイメージだ。
時々,不意打ちのようにサンタナの「哀愁のヨーロッパ」が流れてくる。哀調のギターソロ。私は恥ずかしいほどにストレートなセンチメンタリズムを感じ,なんだか尾てい骨がくすぐられているような感じになる。そして,深夜喫茶の焼きうどんを思い出す。
カルロス・サンタナ「哀愁のヨーロッパ」