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№725 公共財

№725 公共財
 経済学の研究者からお話しをうかがった。この日の私たちの主要なテーマは「公共財」の考え方だ。かなり難しくて理解できなかったが、多くのヒントを得ることができた。。

 経済の中に倫理とか「公共」を持ち込むことは容易なことではない。人類や社会の基盤となる「財」でがあるが、マーケットに委ねることのできない領域、費用対便益で割り切ることのできない領域がある。それらの領域を社会的公共財と考え、市場の枠外での保護・管理が必要となるという考えが一方ではある。

 この社会的公共財なのだが、自然生態系や、金融、教育などのシステム、道路などのインフラなどがそうだ。伝統的には道路などはわかりやすいが、システムそのものを「財」と考えたり、自然生態系や大気の平衡能力まで「財」と考えるとかなり難しい。

 ともかく、こうした市場のコントロールから除外すべき領域は、除外される根拠を科学的に整理し、その趣旨にそって除外される必要がある。もちろん、この考えは単純化されたもので、「公共」の性質によっては市場原理が導入された方が適切に管理できる場合もある。例えば、温室効果ガスの排出権取引などがそうだ。

 もっとも何を除外するか、いかに管理するかについては、国、自治体、NGO、市民とたくさんのステークホルダーの議論の過程で決められていくのが望ましい。市場の見えざる手によって自ずと「適正」に落ち着くことがない領域で何が適正であるかを決めるのがまた難しいのだ。この問題になると、経済学から法学のテーマに変化していく。

 お話しいただいた研究者は、こうしたテーマでは我が国の第一人者の一人だ。このあたりは非常に難しくてすぐには分からないが、かなりヒントがあっておもしろかった。こんな話も実は私の仕事としては有益なのだ。

 「公共」の考え方は法律の分野でも整理が必要なことだ。現在、私が進めている作業は「公共」の法的意義の分析だ。環境など公共とされているものがなぜ公共性をもつのか、法的価値として表現するにはどうしたらいいのかというのが現在のテーマだ。

 会話の最後には、ノーベル経済学賞受賞者であるアマルティア・センについても話が及んだ。彼はミクロ経済学の立場から貧困を分析した。貧困は物質的な貧しさだけでなく、貧困から脱出する「機会」を奪われている故に貧困であるという。貧困は自由の喪失であるという訳だ。