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№453 労働組合

№453 労働組合
 中小企業にとって労働組合をいかに考えるかは非常に難しい問題だ。しかし、企業法務を扱う場合には避けて通れない。
 
 ドラッカーは「労組の弱体化をマネジメント層の強さの証だとするのは、とんでもない自己欺瞞である。」としている(「マネジメントⅡ」32頁)。私はこの意味がよく分かる。
 
 うちの事務所のスタッフに労働組合を作ったらどうかと勧めたことがあるが(本当はこういうことはやってはいけない。)、誰も作ろうとしなかった。組合活動のためにオフタイムを割かれるのをいやがるのだ。
 
 私の顧問先に労働組合が押しかけてきたことがある。
 余りにも働きが悪いので解雇したのだが、その者が企業を越えた一般的労働組合に所属し、断交を求めてきたのだ。労働者の団体交渉権は憲法が保障する権利だから応ぜざる得ない。組合は街宣車を乗り付け、近所にビラを配り、多数で会社事務所に押しかけた。お父さんが社長、娘婿が専務、娘が経理といった小さな企業ではたまったものではない。
 
 彼らは断交と称しているが、私から見ると意味不明な暴力としか写らない。正義の気骨に欠けた断交などは交渉とは言わない。どなって暴れるだけの彼らを制することは難しいことではない。もちろん、正当な交渉であればそれに応じ、正当な要求であればそれに応じればよいのだ。
 
 私は労働者側でも労働事件を引き受けたことがあるが、労働組合はどうしているのかと尋ねると、彼らは組合を全く信頼していなかった。労働組合の幹部はみな会社の重役になり、出世コースになっているという。
 
 確かに、労働者のために奮闘する正当な労働組合もあるだろう。しかし、現在では労働組合の多数は変質していると思う。現代の労働者層と、かつてマルクスレーニンが活躍した時代の労働者層とは大きく違う、労働組合はそれに応じて変質しているかもしれない。
 
 ドラッカーの「マネジメント」はこの問題を取り上げている。彼は労働組合を敵とは見ていない。むしろ、現在社会では労働組合がそのものが弱体化し、社会から疎外される状況を問題だとしている。社会から疎外された労働組合は、人材を失い、組織マネジメントが弱体化し、反対するだけの組織に変質すると指摘している。
 
 私は従順な組合がよいとは思っていない。主体性を失った社員がよい仕事をするとは思えない。理想的に言えば、よい仕事をする者は、自分の価値に見合った待遇を求める。そして経営者はそれに応えるのだ。そのためには、「労働者魂」のある労働者、経営者の立場から言えば、マネジメント意識のある社員を育成することも、会社マネジメントの重要な課題だ。ようは「正義の気骨」を労使ともに共有することが大切だ。