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№365 モナ・リザ

№365 モナ・リザ
貴久さんのブログに刺激されて、絵画のことをこのところ考えている。

私の敬愛する夏目漱石先生は永日小品の中でモナリザを取り上げている。
http://bbs.jpwind.com/thread-576547-1-3.html

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主人公の井深はモナリザの絵を古道具やで買ってきて妻に見せた。
「細君は洋灯を翳した片手を少し上に上げて、しばらく物も言わずに黄ばんだ女の顔を眺めていたが、やがて、気味の悪い顔です事ねえと云った。」

「背中合せに、四つ折の西洋紙が出た。開けて見ると、印気(インキ)で妙な事が書いてある。『モナリサの唇には女性(にょしょう)の謎(なぞ)がある。原始以降この謎を描き得たものはダ ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。』」
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確かにモナリザは気味が悪い。子供の頃、ザ・ダイガースが「モナリザの微笑み」を歌い、お姉さんたちがキャーキャー言っていたの見て、なんで「モナリザ」が良いんだろうと何度も思った。みんなが美人と思えば気味が悪くても美人になってしまうのかななどと思っていた。

私はモナリザの曖昧な微笑は特別な「狂気」を表していると思う。モナリザの微笑は本当にちょっとしたものだからその意味はすぐには分からない。でも、ダビンチの「洗礼者ヨハネ」と比較すると微笑みの意味が分かってくる(気がする)。
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/davinci_giovanni.html

ヨハネの微笑は狂気じみている。意味もなく人を見つめ、誘い込むように微笑みかけている。狂人が不条理を感じさせるように、ヨハネの微笑は意味不明な、それでいて何か狂気めいた別の世界に誘うような不条理な微笑みだ。

見る者はそこに入ってはいけないという自衛心を引き起こされる。そこに入ってはいけないタブーがあれば、自分が引き込まれてしまったらどうしようという恐怖に似た気持ちが湧いてくる。それは理性を失うことの恐怖だ。その狂気に対する、好奇の気持ちと、逃げ出したい気持ちと、理性を失うことに対する抗しがたい魅力とがそこに含まれている。

モナリザの微笑みはヨハネの微笑みと同じだと思う。それは理性を否定するような不条理な微笑みなのだ。そこには謎などなく、最初から非理性的あるいは反理性的な意味を持っている。その微笑みの持っているあいまいさは、あいまい以上の意味はない。しかし、あいまいさに人間の理性の持つ危うさを読み取るならば、哲学的意味は大きいかもしれない。