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№350 ありがとう

№350 ありがとう
経営者は「ありがとう」という言葉を大切にする。
仲間に対する感謝、お客さんに対する感謝、会社に対する感謝、世間に対する感謝といろいろな意味での感謝、謙虚さが大切だと考える。

若い頃
何でも感謝ということに妙な反発があった。感謝は心の底から湧くもので、言われて感謝するものではない。「感謝」「ありがとう」という標語には、心の問題とは別に、感謝するべき姿勢という「偽善」がある気がしたのである。

それはそれで正しい。感謝というものはそれほど純粋なもので、求められて義務づけられるものではないはずだ。しかし、感謝というのは気づかなければ感謝することもなく通り過ぎてしまうことが少なくない。何かを知って、感謝すべきことだと知ることが多い。「ありがとう」の言葉の中には、新しい経験を身につけるという、何かしら創造的な要素が含まれている。

恋人を失って、恋人が与えたものの大きさを知る。なぜ、私はもっと彼女に感謝しなかったのだろうか。私は彼女にありがとうという言葉を伝える機会を失った。

自分のアイディアは絶対であり、成功するはずだ。しかし、失敗による被害の大きさに自らの慢心を恥じた。

こうした「ありがとう」、「感謝」は時には血の出るような、つらい体験を通じて先人より積み重ねられてきたものだ。人間性に歴史があるなら、その積み重ねの到達点であると思う。一人一人はその到達点を知ることによって成長する。「ありがとう」は何を「ありがとう」と言うかを知らないと「ありがとう」とは言えない。

追記
私は宮澤賢治の「よだかの星」が大好きだ。よだかは鷹にいじめられる。しかし、いじめられている当の自分が小さな虫たちを食べながら生きていくことを知り、生きていくことの切なさを知る。切なさを知ったよだかはどこまでも空に登り、やがて星になるという話だ。