№265 うちのばあさん
籠橋さんのところでは昨年じいさんが亡くなり,いまではばあさんが一人暮らしだ。ばあさんはさぞかしがっかりしたことだろうが,口では「やっと家事から解放された。」と言っている。
「おとうさんが生きている間,ずっと,おとうさんの食事のことを考えてきたのよ。おかあさんは菜っ葉が好きなんだけど,おとうさんは食べないのよ。だから,いつもがまんしてきて」
じいさんの写真の前にはガラスのコップがある。そこにはいつも氷の入った水が入れてある。
ばあさんは毎朝散歩する。近所の川にはいろいろなものが流れてくるらしく,河川敷にはミカンの木とか,イチジクとか,いろいろな木があるそうだ。ミカンがなっていたからとってきたとか,イチジクがなっているからとってきたとか,楽しみにしていたイチジクがとられていたとか河川敷を自分の庭だと思っているらしい。
ばあさんにとっては河川敷はブログみたいなものだ。出会う人に片っ端から声をかけているらしい。今日は誰と話したかと丹念に日記につけている。
気丈なばあさんなので,最近になってもお友達がたくさんできている。でも,「隆明が毎週来てくれるんで,最近は楽しみになってきて,おかあさんはこりゃいかんと思っているわ。」などと言う。どうしてかな。
ばあさんが結婚した頃,籠橋夫婦は3軒長屋に住んでいた。壁の向こうは隣の家だ。当時はたぶん3歳か4歳ぐらいだったろうと思うが,私は,壁の向こうで仲良しのメイちゃんがしかられた声を覚えている。「メイちゃんがまたしかられた。」といつも思っていた。便所は3軒共同で,家の外にあった。庭も共同だった。
細い路地に家がひしめき合っていて,迷路のような路地を通ってカー君のおうちにいつも遊びに行っていた。
近所の奥さんが「黒い子供を産んだ」などと訳の分からないうわさが流れ,向こう3軒となりにはヤクザのお兄ちゃんがいて気をつけなさいなどと言われていた。お好み焼き屋は,私達の社交場で,2円のあめ玉やしょうゆせんべいを食べていた。紙芝居がやってきたり,飴屋の行商が動物の人形飴を売り歩いていた。
サンマはしちりんで焼き,カルシウムがあるというので骨まで焼いて食べさせられた。
ばあさんはこんな生活から,あこがれの団地に移り住んだ。洋服の行商をしてオヤジを助け,バスも通わない地域に土地を買って,やがてマイホームを作り,妹と私の2人の兄弟は成長した。