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№410 京都の町家(まちや)

№410 京都の町家(まちや)
 私は長く京都で弁護士をして、名古屋にやってきた。

 京都の中心部は中京(なかぎょう)と呼ばれ、町家群がある。京都では町家を「まちや」とよび独特の響きがある。幕末、外国人使節が初めて京の都に上ったとき、町家群の家並みの美しさに目をみはった。

 祇園祭では山鉾が並び、巡行の日は町家の間を曳かれていく。巡行前日は宵山と言い、前々日は宵々山という。さらに宵々々山まである。早くから山鉾の組み立てが始まり、宵山には明かりがともされた祇園山鉾が町家の間に浮かび上がる。たくさんの人の出入りがあり、コンチキチンの祇園囃子が聞こえてきて、なんだか幻想的な雰囲気となる。

 京都の町家の特徴はウナギの寝床と呼ばれる細長い構造だ。間口が狭く、奥が長い。ベンガラ格子、堅格子と呼ばれる表があって、細い通路が奥まで続く。奥の中間部に小さな庭があり、さらに奥に続く。通路の中頃には台所である「おくどうさん」があって、2階部分も突き抜けて天井がある。中に入って見上げると高いところに天窓がある。

 祇園祭の神様は八坂神社にいるのだが、祭り中は御輿に乗って、四条の御旅所(おたびしょ)に出張する。宵山の時には御旅にたくさんの人がお参りに来る。川端康成の古都でも、主人公の女性が御旅所でお参りするシーンから始まっていたように思う。

 京町屋の景観は最近はどんどん失われ、かなり姿を消している。それは都市計画法や、建築基準法の欠陥ではある。我が国の都市設計の思想は全国どこでも同じものを作るというコンセプトでできあがっている。大きな道路を作って、道路周辺部には大きなビルを作らせる。都市の中心部にはビジネス街を作り上げて、居住区は都市周辺部に追いやっていく。これが、日本の都市政策の思想だ。

 町家は普通の市民が生活して創り上げてきた文化だ。しかし、ビルを作れる、マンションができるとなれば、町家を壊してマンションを,というのというのが経済の必然だ。人々は町家を維持する意欲を失う。値あがった土地に人が住むことはできない。その結果、町家は失われ、祇園祭の担い手も減少していく。