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№368 やはり「愛」がないとね。

№368 やはり「愛」がないとね。
 経営戦略は経営者の価値観がそのまま反映する。自分の人生を振り返り、自分が何を大切にしてきたかという点がそのまま経営に反映されてしまう。自分の信念と違うことはできない。このあたりが、社員との違いだ。
 
 うちの事務所の経営戦略を考えたら、やはり「愛」がないとね。

 愛とは言うまでもなく相手の人生が豊かになるよう思いやる気持ちだ。人への思いやりは自分への思いやりにつながる。人を幸福にすることが自分の幸福となる。人間というのはそういう生物だ。

 でも、「愛」はあまりにも抽象的で、言うことは簡単だ。どっかの悪徳商法だって「愛」を言っている。インチキ宗教は自分を殺すことが「愛」だと言って、教団を疑わせないようにする。

 私は法律家だから、「愛」を法律的に説明しなければならない。
私は人が幸福な状態というのは自分の人生を自分で決めることができる状態ではないかと思う。貧困や恐怖など、大きな障害によって本来の自分ではなくなることがある。それは自分のことが自分で決められていないのだ。法的にはこういう問題を「自由」がないという。それは「自己決定権が阻害されている」という。

 「愛」というのは人が幸福になるよう思いやる気持ちであり、行動だ。法的には人が自由であるとを尊重し、そのように配慮するということになる。法律的には「自己決定権の尊重」という言葉で表現することもある。

 だから、うちの事務所は「自己決定権の尊重」というのは大切な経営理念になっている。でも、法律事務所の理念という点から言うと、これだけでは足りない。

 弁護士と依頼者との関係は、専門家と非専門家の関係だ。「先生におまかせします」という世界だ。お任せしますという関係が「自己決定権の尊重」と言えるだろうか。

 そこで、我々法律家はさらに、「説明と同意」という関係を大切にする。専門性が高くとも依頼者に説明し、同意を得ながら事件処理を進めるのだ。納得のプロセスが必要だ。方向を見失った依頼者が、自分の意思でものごとを解決できたと思うことが必要になる。

 「愛→自由の尊重→自己決定権の尊重→説明と同意のプロセス」ということですね。

 なんだと思うかもしれないが、こんなこともできないで威張っている弁護士は少なくない。たいして専門性もないくせに威張ってごまかすのだ。依頼者をしかって、自分の能力を隠そうとする弁護士もいる。
 
 もちろん、自分もいつも反省しなければいけない。弁護士はいばりやすい商売だからだ。