名古屋・豊橋発,弁護士籠橋の中小企業法務

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№34 優秀な頭脳

 「太公望」や「三顧の礼」を持ち出すまでもなく我々は優秀な頭脳にあこがれ,優秀な頭脳を持つ人材をほしいと思う。大学は優秀な頭脳を生み出す場として本来の役割が期待されている。

 何が優秀かどうかは創造性にかかっている。弁護士の分野でもこの創造性の点ではかなりはっきり分かれる。この「優秀な頭脳」の基準はものごとを単純化できるかどうかではないかだろうという気がする。普通に勉強ができる人間であれば知識の集約は難しいことではない。たくさん勉強すればたくさんの情報が集まる。しかし,それを単純化するためには創造性が必要だ。頭の悪い者ほどものごとを複雑にわかりにくくし,頭の良い者ほど単純に説明する。もったいぶっていろいろ言う学者ほど頭が悪く,簡単に言ってくれる学者ほど頭がよく役に立つ。

実務家の間では単に優秀ではだめで,それが実践的な知識として提供されることが必要だ。この実践的知識となるとこれは頭脳の問題と言うよりは心意気の問題ではないかという気がする。未来に向けた自由な志向と行動こそが現場を生み出していく。この自由な気概はなかなか教育で生み出されるものではない。

 産学連携して企業人を育成しようと言う試みが全国で展開されている。我が国の施策でも大学等技術移転促進法,産業活力再生特別措置法,産学連携関連特別区など地域産業競争力強化を目的に様々な施策や実践が試みられている。大学の知的資源を大学の知識と人材に分けて考えて,それを地域産業に役立てようと言う試みだ。人口のほとんどが大学に進学する実情から大学が単なる学問の府ではなく教育機関としての役割も重視されていることも大きく影響しているだろう。

 大学はどんな人材を輩出しなければならないか我が国では模索が続いている。こうした試みは米国では1946年ころから始まり,我が国では1989年ころからだろうというのであるから未だ「模索」と言ってもやむ得ないかもしれない。学生が大学の外に出て実践的知識を見つけ出すことは重要だろう。その中核となるのは何ものかになろうという学生の気概と学内の自治の気風である。しかし,現状の大学はまるで小中高の一部であり,学生は「気の抜けたアウトサイダー」のごとく先生からの指導を待っている。大学の先生に向かって板書に書いてくれないと分からないとか,資料を用意してくれないと分からないなどと甘えている学生を見ると大学など辞めてしまえと言いたくなる。