名古屋・豊橋発,弁護士籠橋の中小企業法務

名古屋,豊橋,東海三県中小企業法務を行っています。

№1246 追悼「改善の父」

№1246 追悼「改善の父」

 「改善」の父、豊田英二さんが亡くなった。「KAIZEN」は英語となり、世界中に広まっている。「改善」の定義と言えば不断の向上をめざして、変更させていくことなのだろう。

 どんなテーマでもそうだが、改善も重ねていくとある種の飽和に達する。繰り返し、繰り返し改善するが、ちょっとの前進を果たすことはあっても「理論値」に永遠に近づくが、それを越えられない。PDCAサイクルも常に「理論値」があって、ある種の飽和に達すると改善の効果は微々たるものになってしまう。

 トヨタ経営の解説書などを読んでいると、この「改善」の成果がある程度出てからが大切なのだそうだ。「改善」に着手するとある時期急激に事態は改善し、「踊り場」に達する、経営者の手腕はこの踊り場に達した時点でさらに改善の意欲をいかに引き出すかによって発揮されるという。

 乾いたタオルでも智慧をしぼれば水は出てくるのだそうだ。確かに経営者たる者、これくら強い姿勢を持ち続けなければ厳しい市場の競争に勝ち抜くことはできない。くじけない気持ちとくじけない行動で経営者は会社全体を支えていく。

 トヨタの解説書によると、改善の本質は人間の成長にあるということだ。私の経験から言っても、いろいろ指示を出しても効果があるの一定程度までで、それ以上は本人の資質、自主的な努力をしようという意欲、精緻で美しいものを作ろうという人間的な質の高さにうらうちされるような気がする。

 私の考えでは改善を重ね、改善の効果が微々たるものであってもそれはそれでよいと思う。組織が改善を重ね、高みを作りあげた場合、それの高みを維持することも必要不可欠だ。その高みの持続が改善の努力であるし、経営者たる者、踊り場からさらに転落しないよう、社員のモチベーションを維持し続けるだけの強い意志と行動が求められる。その意欲は強制では生まれない。

 改善は「乾いたタオルをしぼる」と揶揄される。
 「やればできる」と言った根拠のない精神論だけとか、厳しさと容赦の無い指揮命令との混同とか、大切なのはここのところに注意することだ。江戸時代じゃあるまいし、絞れば絞るほど油は出るなどということは物理的にあり得ない。

 重要なのは「組織の高み」をみんなで維持ししよう、組織を「より強く、より能力高く、より美しくしよう、愛するに値するものにしよう」という自発的な意欲を引き出す点にある。

 そして、さらに重要なのは、改善が飽和に近づいた時点で、それまでとは質的に違った発想を提示することだ。ラインの単純な分業では限界がある。そうであれば、セル方式の分業ができないか、組織に新しい発想をもちこみ、さらにまた高みをめざして改善を進めることだ。そのために経営者は創造性を獲得するために常に勉強することが求められる。