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№560 チェロ

№560 チェロ
 チェロは人間の声に一番近い楽器なのだそうだ。私の大好きな宮沢賢治の童話の中にもチェロはよく出てくる。賢治自身チェロをよく弾いていたそうだ。
 
 チェロ=セロ
 
 セロ弾きのゴーシュは誰でも知っている童話だ。猫、カッコウ、タヌキ、野ねずみ、たちがゴーシュにいろいろ注文する。ゴーシュはそれにつきあっているうちに、知らぬ間にセロの腕を上げていく。
 
 
 私は動物たちがゴーシュの幻想ではなかったかという気がする。つまり、動物たちは、ゴーシュの一つ一つの良心、真心だったのではないかと思うのだ。
 
 ゴーシュはセロを立派に弾きあげるという理想ばかりが先行して、自分の内にある本当のものを見失ってしまった。よくあることだ。自分の内なる良心が、叫んでいるのに気づかず、それを踏みにじって行動する。あのとき、自分がしたことは、恥じ入るほど愚かなことであったと後で気づくことはよくあることだ。そういえば、心のどこかに何かが「まずいぞ」と叫んでいた。その何かがゴーシュの動物たちだと思えてならない。
 
 この物語を読んでいて不思議なのは、動物たちはゴーシュにひどい目にあわせされているのに、彼らはけっしてゴーシュを見捨てなかったことだ。どうして、と思う。私は動物たちが自分を愛するゴーシュ自身だったからではないかという気がしている。
 
 「理想を持っている自分」は、けっして自分を裏切らない。「自分らしくありたいという気持ち」は踏みにじられても、それでも自分らしくありたいと思う気持ちは存在する。だから私たちは後悔する。後悔とは自分は自分をうらぎらないことの証だ。常に未来を描いている限り、自分はけっして自分を裏切らない。それは本当の愛情の姿だと思う。
 
 私たちの人生は、自分の良心や正義、理想を傷つけながら、少しずつ前進させている。自分のことを本当に愛していれば、必ず、本当の自分に返る瞬間がある。本当の自分に返ったときに、あのとき、やっちゃいけないよといった心のどこかの叫びに、後悔し、自分の良心をどれほど傷つけていたかに気づくのだ。そして、私たちはそれでも前に進もうと思う。
 
 私たちの理想に向かう気持ちは、愚かな行為によって踏みにじられても、傷つけられても自分を励まし、さらに理想に向かって進めという。だから動物たちはひどい目にあってもけっしてゴーシュを見捨てなかったのではないだろうか。
 
 セロ弾きのゴーシュは短い作品だが、そうした賢治の気持ちが込められているのではないかと思う。