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№355 夏秋草図屏風

№355 夏秋草図屏風
 お気に入りに登録している貴久さんのブログに、琳派の絵を見に行ったという記事があった。そういえば、私の大好きな絵に酒井抱一の「夏秋草図屏風」(なつあきくさびょうぶ)という絵があったなと思い出した。

 酒井抱一は江戸時代後期、江戸琳派創始者として有名だ。

 「夏秋草図屏風」は酒井抱一の絵の中でも群を抜いているように思う。銀を背景に、秋草、夏草が描かれている。赤い蔦、夏草の陰に咲く白い百合は官能的だ。

 http://www.salvastyle.com/menu_japanese/hoitsu_plants.html 

 秋が進んだ裏磐梯の山に入ったことがある。森全体に紅葉があって真っ赤だったが、森に入ると、全てが枯れて、赤い蔦が残っていることがあった。ああこれが、酒井抱一の赤い蔦だと思ったことある。風に吹かれた赤い蔦が持つ強い緊張、それは全てを削り取った本当の官能というものを見せつけているような気がする。

 絵画が官能的である時、多くの場合にはたくさんの装飾がつく。それは女性であったり、風景であったり、物語であったりする。しかし,写実性が実は、官能的であることを失わせたりすることもある。

 私はクリムトの絵が、官能的であるのは女性がやせていたり、錦絵のような装飾があるからのように思える。やせていることで、余計な装飾を削り取り、あるいは、錦絵のような模様が写実を失わせ、「官能的」そのものの本質に迫ろうとしているような気がするのだ。

 抱一の赤い蔦は、蔦であることで全てのセンチメンタリズムをはぎ取り官能的であることそのものを表現しようとしている。

 官能的であることの本質は、人間の本質にかかわる抽象的な問題であって、けっして具体的ではない。その追求は緊張感にあふれている。シロウトの思い込みかもしれないが、酒井抱一の「赤い蔦」にはぎりぎりまで追求した官能美があると思う。