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№2165 小善と大善

№2165 小善と大善

 「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」
 この言葉は稲盛和夫氏の言葉だ。経営者にとって,この意味は深い。

 人に心地よい言葉や行為はその人にとってはもちろん正しかろう。しかし,経営者は会社のことを考えて決断しなければならない。社員の本当の利益というものを考えて決断する瞬間は,時に非情だが長い目でみれが企業の持続的な発展,ひいては社員の人生を豊かにすることにもなる。

「孝らしからぬ孝」
 明治の経済人,渋沢栄一の「論語と算盤」に「孝らしからぬ孝」という文がある。「近江の孝子(孝行息子の意味)」が孝行のありようを勉強しようと「信濃の孝子」訪ねた。別室で「信濃の孝子」の立ち居振る舞いを見ていたところ,仕事から帰ってきた「信濃の孝子」は母親に足を洗わせ,足をもませ,食事を作らせ,時には小言を言った。

 「近江の孝子」は、「信濃の孝子」対し、そんなのは孝行でもなんでもないと告げた。信濃の孝子は、母は山から帰ってきた息子をいたわってやりたいと思っている,その感謝の気持ちを無にしたくないのだと答えた。「孝行しようとしての孝行は孝行とは言わぬ」と言うのだ。根本に従うことが,時に非情に映ることがある。

この言葉は謙虚さ無くして理解されるべきではない
 何が正しいか,何が正しくないかは本当のところはわからない。経営判断はいつも不確定な状況下で行われる。経営者の場合,その不確定の中で強い信念のもとに決断することになる。それは「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」と心に言い聞かせて,決断するのだろう。

 しかし,一方で,私たちが考えた「大善」は「善」ではないかもしれない。「非情」という言葉だけに惹かれて行われた決断かもしれない。そうした,疑いや反省,謙虚さもこの言葉は語っているように思う。

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