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№1884 「労使見解」と解雇

№1884 「労使見解」と解雇

 私が所属するあいち中小企業家同友会には「労使見解」というものがある。1975年に発表されたもので、経営者の責任、労働者と経営者の関係について述べている。

経営を維持,発展させる責任
 労使見解では経営者の責任とは何かというところから始まっている。
 小さな企業だから、外部環境が悪いから、といって経営者の責任を放棄することは許されないと書いてある。「いかに環境がきびしくとも、時代の変化に対応して、経営を維持し発展させるせきにんがあります。」と経営の厳しさに負けないよう励ましている。

経営者の責任
 労働者との関係では経営の責任とは雇用の確保、賃金を支払いだ。労働と人格は分離できない。人々は労働の提供を通じて人格を磨き上げ、自己を実現する。労働者は仕事に人生のやりがいを提供するのも経営者の責任だ。

労働者の責任
 労働者は賃金をもらう分だけの働きが要求される。組織に対する忠誠心も要求される。人の人格と労働は分離できないので、労働するに当たっては職場にあわせた価値観を持ってもらう必要がある。高い職業意識があって初めて労働者は経営者と対等になれるし、経営者はそこまで経営を持って行かなければならない。

解雇についてどう考えるか
 ところで、私たち弁護士は職業上「解雇」のケースにどうしても直面する。労使見解にもかかわらず、解雇が必要な局面は実際にある。弁護士としてこうした場面に対し、顧客にどのように説明するかは非常に難しい。

 問題ある社員であっても、解雇は労働者の人生を大きく狂わせてしまう。経営者としては身を切られる思いをよく実感しなければならない。人は必ず改善するという信念に支えられた対応は必要なことだ。

しかし,解雇を想定しなければならない場合もある
 ただ、ひとたび「解雇」を想定した場合、その時点で社員と経営者は対立関係になる。解雇過程は必ず十分な説得と本人の納得を用意する必要がある。そして、十分な証拠を用意し、誰にでも説明できるだけの正当性が必要だ。

 社員とは対立状態になるので、日々のやりとりは労使という点では友好的だが、解雇の点では敵対的で有り、きびしい駆け引きが要求されてしまう。特に労働者側に弁護士がついた場合はそうだ。

解雇は労使見解の理想からは遠い
  解雇を正当化するための材料の準備、労働側の弁護士とのきびしい駆け引きなどは使用者としても弁護士と相談無くしてできない。しかし、この協議は労使見解の理想からは遠い。

解雇場面でも労使見解は指針となる
 労使見解の立場からはとても残念なことだが、経営者としてのぎりぎりまでの努力は労使見解は励みになる。労使見解の立場からは解雇は経営者としての一つの敗北だ。労使見解はこの敗北から学ぶのも経営責任の一つだといういっているようにも思う。

 解雇というぎりぎりの局面でも労使見解は重要な役割を果たす。中小企業法務を扱う弁護士は特に労使見解の意義を見失わないよう注意しなければならない。

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