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№1785 君子和して同ぜず

№1785 君子和して同ぜず

 論語子路編には「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」というものがある。

「子曰、君子和而不同、小人同而不和」

  君子は広くつきあうが、他人の意見に迎合することはない。小人は意見に迎合しているが、つきあいがよいわけではない。

 論語は中国の古典なので当然中国でもこの言葉は大切にされている。「百科」(中国版Wiki)の解説ではこんな風になっている。

「他周围的人保持和谐融洽的关系,但他对待任何事情都必须经过自己大脑的独立思考」

 君子はその周りの人たちと「和」を保ち友好な関係に立つが、彼は何事にもつけても、自分の「大脳」によって考えた独立した思考を経て人と接する。「大脳」というのはすごい言葉だが、自分の頭をつかって考えるということだ。

 いろいろ書いてあったが「和」という概念は論語の中でも重要な考えらしい。つまり、多様なものがあって調和してすばらしいものが生まれるという状態を「和」と表現している。たとえば、料理するとき「酸、甜、苦、辣、咸」(酸っぱさ、甘味、苦み、辛み、塩)を使うが調和させればすばらしい料理ができあがる、それが「和」の考えだというのだ。

 これに対して「同」は付和雷同の「同」で、自分の意見もなく付き従う意味がある。自分を押し殺し、すべて「酸」になり、時には「甜」になりしてしまう。小人は自分の意見を持たず、意味なく皆と「同」じに意見になる。

 「和」の考えは、論語の中でも最も重要な概念の一つだという。「和」はとかく日本の考えように思われがちだが、論語文化の国では一般的に通用しているに違いない。ただ、日本の「和」の概念は少し上記の解釈とは違う気がする。少なくとも「百科」の解説の範囲だが「和」は「独立思考」、自己の明快な思想を前提に相互に調和するという発想にたっている。日本の「和」は「同」の発想に近い。

 君子は「和」であり、小人は「同」というのだが、2つの漢字には大きな違いがある。

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