名古屋・豊橋発,弁護士籠橋の中小企業法務

名古屋,豊橋,東海三県中小企業法務を行っています。

№1660 たまご

№1660 たまご

私が法学部で受けた最初の授業にこんな問題があった。
「赤貧の未亡人が子供のために卵を盗んだ場合に処罰できるか?」

赤貧であろうと,なんであろうと盗みは盗み,処罰の対象になる。しかしだ,子供が飢えで死にかけているような場合はどうだろうか。刑罰は人に対する社会的非難なので,極限状況の行為に対しては「非難」できないのではないか。などと議論する。

ともかく,この問題そのものは古い刑法の教科書に出てくる問題で,それは「卵」というのはとても高価で栄養があり,かつ薬用としても珍重されていた時代の話だ。昭和40年代になって米国品種がやってきて,大量に卵が作られるようになると状況は一変してしまう。「赤貧の未亡人が・・・」の物語も全くリアリティを感じなくなってしまう。

古来より卵は本当に珍重されていた。
古くは1578年に李家に伝わる漢方が本草綱目として集大成された。本草綱目には「卵油」が紹介され,生で飲んだり,煮たり,はったりいろいろなものに効いたそうだ。卵油は明治維新後も珍重された。

室町時代ポルトガル人ともに卵をつかったお菓子がやってきている。

卵を焼いて食べ始めたのはどうも江戸時代からだったようだ。当初は薄い焼き方だが,江戸中期には厚焼き卵が登場する。江戸時代の天明5年(1785年)に出版された「万宝料理秘密箱」(まんぽうりょうりひみつばこ)という料理本があり,その卵の部である,「卵百珍」にはいろいろな卵料理が紹介されており,厚焼き卵もその1つだ。

卵料理は高級料理なので,卵料理屋も高級料亭だったことだろう。江戸時代,「扇屋」が有名だったようだ。王子の「扇屋」は今でも残って,卵焼きを売っている。王子の狐という落語にも出てくる。

    扇屋 → http://www.ouji-ougiya.jp/

「卵百珍」でびっくりなのは「黄味返し卵」だ。黄身を外に白身を内にするレシピが紹介さている。現代でもやってみた人がいて,調べてみると紹介されている。本当に黄身が外に出ている。どうやったらこんなレシピを発見するのだろう。さすが江戸時代。奇跡の職人芸時代だ。

 


※ 「黄味返し卵」のレシピ
「地卵の新しきを。針にて頭《かしら》の方へ。一寸ばかり穴をあけ、扨能《さてよく》糠味噌へ。三日ほど漬おきて。取りいだしよく水にて洗ひ。煮貫《にぬき》にすれば。中の黄味が。外へなり。白身が。中へ入ル。是《これ》を黄味返しといふ」

イメージ 1