№1513 ASEANをどうみるか
私の所属している中小企業か同友会では海外問題についても議論している。今日はASEAN(Association of South‐East Asian Nations)の基礎的勉強会を実施した。
ASEANは東南アジア10か国から成るが,1967年に発足したときはタイ,インドネシア,シンガポール,フィリピン,マレーシアの5か国だった。当時は東南アジアに伸張する共産主義に対して共同して防衛しようという政治的意図で始まっている。
ASEANが経済的な意味での統合を強めていったのは1990年代ころかららしい。1992年にはAFTA(ASEAN自由貿易地域)の設立を決定し,ベトナム、ラオス(92年)及びミャンマー、カンボディア(95年)が東南アジア友好協力条約へ加盟した。社会主義国のベトナムが参加した意味はもやは,ASEANが反共産主義の連合ではなくなったということを意味する。
ASEANの社会経済的な統合を決定的にしたできごとは1997年7月よりタイを中心に始まった、アジア各国の急激な通貨下落(減価)現象,アジア通貨危機だ。ヘッジファンドに狙われ外貨を失いさらに自国の通貨の信用を失ったASEAN諸国特にタイはIMFの資金援助を受けつつ経済の再建を進めた。このときの条件が徹底的な投資の自由と関税所壁の撤退,緩和だ。
このときASEAN域内に自由貿易,自由投資圏が生まれたこと,ASEAN国内の外資系企業が生産のASEAN域内分業を促進させ,生産拠点をタイやインドネシアにもうけていったことからASEAN域内の経済活動が飛躍的に発展していくことになる。
現在,ASEAN域内の域内貿易比率は44%に及び,NAFTAを上回っているということだ。これはASEAN域内の融合化,分業が進んだ結果であるとも言える。もし,この44%が材料や部品などの中間財が中心で,しかもそれにローカル企業が関与しているとすれば,ASEANの構造も徐々に変わりつつあると言えるかも知れない。
それは,ASEAN各国,特にタイ,インドネシアの地元企業が徐々に力をつけ始め,ASEAN域内でのプレゼンスを高めているのかもしれない。かつては多国籍企業が自社の子会社に作らせていた中間財も,自力のついたローカル企業に任せておいた方が利益がでると判断しているかもしれない。
もしそうなら,高技術,高サービスの日本の中小企業もうかうかしてはいられない。中国,韓国に続いてASEANにも高技術を持つライバルが登場しているからだ。こうした状況下で日本の中小企業,とりわけ製造業のあるべき方向が示されることはきわめて大切なことだ。私たちの研究会ではこの中小企業がASEANあるいは中国,韓国に対してとるべき戦略を研究しようというのが課題となっている。