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№1500 私は何者だろうか(No.1500記念)

№1500 私は何者だろうか(No.1500記念)

 ブログもついに1500回を迎えた。続けるのはけっこうしんどい。

 青臭い話かも知れないが私はいつも自分は何者だと問いかけている。鏡を見て自分は誰だと問いかけることがめずらしくない。何もやることがなくてぼんやりしているときにも自分は何者なのだと考えることがある。

 私の出身校である東海高校には宮崎という国語の教師がいた。おもしろいことばかり言う言うので若い高校生たちには大変な人気だった。彼の影響を受けて人生の方向を決めていった人も多いのではないだろうか。

 彼は授業で常に時代に向き合え,前向きであれ,自分に忠実であれ,既成の枠にとらわれるななんてことをいつも言っていたような気がする。国語の教材は安部公房が圧倒的に多かった。「ある意味じゃ,大人の方が純粋だと思うね」なんて言って,何気ない言葉に深い含蓄があったりした。

 自分にとらわれない自由さや,新しいものをつくりあげる破壊力というか,創造力というかこういうものに対するあこがれは高校時代に鍛えられたように思う。自分が小さくて,愚かで,人のまねばかりして,うれしいことを素直に喜べなくて,友達がほしくて,孤独だと思って,私の場合あがきにあがいたような高校時代だったが,個性的な東海高校の教師達の何気ない言葉がどれほど救いになっていたか知れない。

 人生を純粋に生きたいと考えていたのはもちろん国語の教師の影響ばかりではない。70年安保の余韻が残っていた時代の影響も大きかったように思う。フォークソングをやっていた友人達は,本当のあなたはどこにあるのと問いかけるような歌ばかり歌っていた。みんなボブデュランやPPMが大好きでフラワーチルドレンのまねごとなんかしていた。いっしょにいた女の子たちもなんだかきらきらしていた
 
 ともかく,この時期,自分を見失っていたのか,あるいは自我が急激に成長し始め,それに知識や経験が追いついていなかったのか,自分を否定することと自分を大事にすることとの区別がつかなかったのか分からなかったが,いつのまにか自分を疑わない生き方をしようと考えるようになり,自分が今思うこと,今やりたいことを一生懸命やろうというような感じにはなっている。

 こうして,何年も生きてきたが,実際にはあまりうまくいっていない。しかし,きっとこの調子で生きていくことになるな。音楽はスコット・ジョプリン あんまりかんけいないけどね。こんな風に楽しく,屈託なく生きていければ幸せだろうね,という意味でいかが。