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№1255 死ぬということ。

№1255 死ぬということ。
 うちのじいさんが亡くなり、婆さんが一人暮らしを始めてからというもの、どうしても死というものを考えてしまう。婆さんには籠橋家の生きたご先祖としていつまでもがんばって生き続けて欲しいものだが、死は必ず訪れる。

 寿命は人間の場合で80年、犬で10年から17年、インコが7年、昆虫などは卵のころから数えても1年もたないものがけっこう多いのではないかと思う。

 同じ生物でありながら寿命が違うのは不思議なことだと思う。人の場合、年をとりやがて、生殖能力を失い、さらに体のいたるところに障害が生まれはじめ、最後は癌とか、肺炎とかなんかの疾患で死に至る。

 犬でも同じようにわずか10年から15年ぐらい間で、身体が衰え、最後は毛並みを悪くなり、よぼよぼし、最後はなんかの疾患で死に至る。ネズミなどは5年ぐらいでそれが繰り返される。

 それはけっして単なる細胞やDNAの劣化でそうなるという訳ではなく、生物の智慧として遺伝子の中にあらからじめ老い、死にいたるプロセスが仕組まれている。

 死というのは生物が進化の過程で身につけた必要なプロセスということなのだろう。私達は生きていく過程で環境に適応して自分を作りあげていく。野生生物の環境だって大きく変化する。病気が大流行することだってある。こうした環境の変動に対して、生物は死と誕生によって適応してきた。

 ウサギ固有の病気が大流行しても、免疫を持ったり、病原菌と共生できる個体が出てきたりして種としては生き残ったりする。何百万年というサイクルでの気候の変動に対しても死亡と誕生という進化の過程で環境に適応し種として維持される。

 ということで、死は悲しいことだが、自然界の大きな智慧として受け入れざる得ないな。お釈迦様も最後は成仏して死を受け入れている。

 ついでながら、組織も同じことで、更新のないところに持続性はない。