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№1170 元禄花見踊り

№1170 元禄花見踊り
 元禄と言えば、紀伊国屋文左衛門、紀文大尽と言われ、吉原大門を貸し切りにし、贅を尽くして遊び尽くしたことで有名だ。こうした派手な景気よさは私好みだ。名古屋人は概して派手好きだ。

 みかん船はあまりに有名だが、当時江戸ではみかんが高騰し、和歌山では豊作でみかんの値が下落していた。文左衛門は、鍛冶職人が「ふいご祭り」に使うみかんの注文をとりつけた上で、みかん船を仕立てて紀州に向かった。

 有名なみかん船出発の日、文左衛門一行は死に装束に身を固め、額には経文を貼り付けて船に乗り込んだ。多くの江戸っ子たちが集まっていた。この時に、「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国ミカン船」と大合唱したそうだ。

 ともかく、文左衛門はみかんでもうけ、鮭でもうけ、材木でもうけと一発当てては派手に遊び、いつのまにか消えてしまった。この時期、奈良屋茂左衛門勝豊のいた。元禄時代は歌舞伎に文楽、俳句や浮世草子と「市民」社会がどんどん力をつけていった時代のように思う。

 そんな元禄文化の憧れを歌にしたのが「元禄花見踊り」だ。派手な衣装を身にまとった岡崎女郎衆が花見の宴の練り歩く。明治の作だが、元禄の派手な姿が浮かび上がる傑作だ。

       →  https://www.youtube.com/watch?v=K5z7DiCLGQw