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№1164 ソースコードと著作権

 ソースコードの意義については前回のブログで紹介した。依頼者などからのソースコードに関する相談に対してはかなり深い検討が必要になる。

 ソースコード著作権として保護されるが、その保護のあり方をめぐっては非常に難しい問題をはらんでいる。実際、裁判になった場合、ソースコードが著作物であるかどうかはソースコードを提示しないと分からないというジレンマがある。しかし、ソースコードを相手方に示すことは避けたいというジレンマだ。

 ともかく、著作権法とプログラムの関係を改めて整理しておきたい。

1. プログラムの定義
 そもそも著作権法プログラムとは「電子計算機を機能させて一の結果を得ることができるようにこれに対する指令を組み合わせたものとして表現したものをいう。」とされている(方2条1項10号の2)。プログラムでは多くの「指令」が一定のルールに従って、人(プログラマー)がテキストファイルに記載し、それを機械言語に変換した上でコンピュータに挿入されて、コンピュータが稼働するようになっている。

2. 問題の所在
 問題となっているのはこの「指令」の集積そのものが著作物として保護されるかどうかと言う点である。

 著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」とされ(法2条1項1号)、著作者は「著作物を創作する者をいう。」とされる(法2条1項2号)。つまり、著作権の対象となるものは「作成者の個性が表現された創作性」が必要となる。

 プログラムのうち、「著作物に対するこの法律による保護は、その著作物を作成するために用いるプログラム言語、規約及び解法に及ばない。」(法10条3項)としている。そこで、単なる言語の組み合わせだけでは著作物にはならない。言語の組み合わせが表現物なので、それが平凡であれば著作物にはならない。あるいは、その機能を発揮するためにの指令の組み合わせに幅がなければ、著作物と言うことはできない。

 ここのところの理解が実は難しい。
 この場合、問題になっているのは、「指令」の組み合わせ自体であって、その結果出てきた様々な機能ではない。驚くような創造的機能は「特許」によって保護されるべきである。著作権はあくまで、プログラムの表現のあり方に「創造性」が認められるかが問題となる。

3. ソースコードの場合
 以上のように考えると、ソースコード著作権が認められるか否かについては「プログラムに著作物性があるというためには、指令の表現自体、その指令の表現の組合わせ、その表現の順序からなるプログラム全体に選択の幅があり、かつ、それがありふれた表現でなく、作成者の個性、すなわち、表現上の創作性が表れていることを要する」ということになる。

 くりかえしになるが、プログラムによって作動する機械などの機能に「創造性」があったとしてもそれは著作権の問題ではない。機能が驚くべき創造性があったとしても、プログラムがありふれたものであれば、著作権の対象となれない。ソースコードの分量、複雑さ、フローチャートの分量、その複雑さも必ずしも著作権を裏付けるものとはならない。

 そうなると、実際にソースコード著作権を持つかどうかは、ソースコードそのものの検討なくして判断できないことになる。つまり、ソースコードのフロー中に特定の機能を維持するためにいくつかの選択肢が考えられるが、特別な意図によっていくつかの中から選んだという操作があったかどうかが重要なカギとなる。

4. ソースコードに関する裁判例
 この点、知財高裁H24.1.25(判時2163号88頁)は、ソースコード全部の検討無くして著作権の判断はできないとしている。そして、ソースコードの開示を拒む原告に対し、著作権の検討ができないとして、著作権の存在を認めなかった。これはかなり過酷な判決ということになる。

 冒頭のべたように、ソースコードは公開されてしまうと意味がなくなる場合がある。公開したとしても敗訴してしまうと、データは相手にわたる上に判決による利益はないということで踏んだり蹴ったりの結果となってしまう。

 ソースコードの保護についてはいくつかのジレンマが存在するため、顧問先などに対するアドバイスとしてもなんらかの工夫が必要だろう。私の考えでは、ソースコードの保護そのものを著作権だけで保護するのは限界があるように思う。その場合、ソースコードをめぐる契約上の工夫が必要となるだろう。