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№936 高学歴者の採用

№936 高学歴者の採用
 最近、中国では大学卒業者が就職難にあえいでいる。彼らは大学に入り、エリートとしてふさわしい職に就きたいと思っているのだが、需要は大幅に供給を上回っているらしい。そんな中、日本をはじめとした外資系の企業はこうした大学生を雇い、日本では得られないようなよい人材を得られた喜んでいる企業も少なくない。

 確かに、こうした「優秀な人材」と呼ばれる中国人は優秀で私が話してていてもある種の機敏さ、反応のよさ、努力を感じる。特に中小企業経営者が評価するのは「努力」と「意欲的従順さ」だ。日本語を覚え、就職した外資系企業(日本企業)の仕事を覚え、何かしらの評価を獲得したいという意欲にあふれている。

 日本人の新卒者でも当然のことながら「優秀な人材」は求められている。中小企業では高学歴の人材を確保することは難しいので、社長からすればやはり国立大学生、早稲田や慶応といった高学歴の人材を採用できるのはうれしい。彼らは難しい大学入試問題を解ことができ、何人かはエリートとして大企業や官公庁で出世していく人たちと知り合いかもしれない人たちだ。彼らが大学を卒業するまでに家庭も社会も多額の資金と時間をかけてきた。

 もちろん、高学歴者だからといって事業にとって必要で優秀とは限らない。高学歴者を他の人材と区別する必要はないし、肩書きだけで区別することは有害でもある。人材の優秀さを図る基準は、唯一企業にとって成果をあげるかどうかだ。学歴ではない。学歴をもって最初から優秀だと決めつける人事は要注意だろう。

 また、いくら優秀でも彼らの才能が職場で発揮されるまでには時間がかかる。彼らが高みに行くまでには数年かかる。最初の数年は必ずしも要領がよいとは言えない。むしろ、高学歴ではないが人の機微をつかみ、愛嬌たっぷりに動く人材のほうが実践的に役立つ。

 彼らの特徴は長時間の勉強にも耐える忍耐力と知識や判断力が時間とともに蓄積されていく点だ。社長の持っている企業戦略のイメージを経験によって徐々に自分なりに理解し、時間とともにそれを成熟させて初めて彼らの才能は活かされる。だから、最初の数年の成果で決められないところにこの種の人材の難しさがある。

 高学歴者でもこのような蓄積による成熟を予感させない人材は役立たない。私の経験でも高学歴だということで出世を期待されるが、いつのまにか窓際にいく社員もいる。学歴があっても、それだけのものでしかない。むしろ、そのような場合は学歴は有害かもしれない。

 私の知り合いのある中小企業は慶応大学卒業の人材を獲得して喜んでいた。地方の中小企業製造業では早稲田や慶応出身者を獲得することはなかなか難しい。この企業は中国進出を果たし、これからさらに大きくなるつもりだ。そのための人材は欠かせない。

 この会社が持つ可能性、発展方向のスケールの大きさに魅せられて慶応出身者はやってきた。社長は自分のやってきたこと、自分のやってきたことがどのように伸びようとしているか語ったそうだ。

 しかし、社長は喜んではいるが、この会社は人材養成を急がない。この慶応ボーイはまず部品の加工という現場作業から始めている。現場の社員たちとの良好なコミュニケーションづくりも求められている。

 もちろん、一方で、この新社員には中国展開の戦略づくりのための実践的勉強も求めている。自分の可能性、延びしろを引き出すのは企業だが、それは社員の自主性を作り出す作業だ。「知識労働者」は自主性が発揮されて成果を生み出すタイプの労働者だ。つまり、この会社では新社員に企業が与えられたものをこなせという姿勢ではだめで、徐々に権限を与えて、企業を喜ぶ作業をやってみろという姿勢で期待の新人を養成しなければならないしていのである。