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№925 籠橋の一族

№925 籠橋の一族
 籠橋という苗字はめずらしい。どちらの出身ですか?、とよく尋ねられる。私たちの苗字は岐阜南部、東濃地方と呼ばれる地域に多くの分布しているが、その由来は分からない。おおかた、橋のそばで籠でも作っていたのだろうなどと思っていた。

 しかし、最近インターネットで「籠橋」を検索していたら、韓国鎮川郡に「籠橋」という1000年の石橋があることがわかった。籠橋祭りもあるぞ。高句麗の王ががつくったものでとても由緒あるものらしい。1000年前と言えば、我が国では平安末期にあたる。


 ひょっとしたら我が籠橋のご祖先は韓国籠橋に出身だったかもしれない。ひょっとしたら我がご先祖は高句麗王の落とし胤だったかもしれない。王家の争いに敗れ、遠く倭国にやってきたのかもしれない。渡来人であったご先祖様は故郷を思って苗字籠橋を選択したかもしれない。こういう話は言った者の勝ちだ。

 子供の頃、死んだじいさんに籠橋はどこから来たのかと聞いたことがある。じいさんもわからんと言っていたが、なんでも私の直系のご先祖は流れ者だったようだ。陶器によい土が出るというので岐阜県南部、土岐市駄知町にやってきたらしい。

 駄知町、「駄」を「知る」というのはなかなかおもしろい名前だ。なんでこんな名前がついているか知らないが、おおかた禅宗の坊さんが分をわきまえろというような謎かけでもしたのだろう。そう言えば、籠橋家のご宗旨は臨済宗妙心寺派禅宗だ。

 ともかく、流れ者の血がそうさせたのか、死んだじいさんは駄知町から流れて名古屋にやってきた。最初は金がないから二軒長屋に住んでいて、こんなことではいけないというので、1963年ころあこがれの団地に引っ越した。当時若かったばあさんは生地の行商をしながら洋服の仕立てを受けていた。巨大なふろしきにたくさんの洋服生地を包み、どっこいしょってな感じで運んでいたことを覚えている。

 今ではじいさんは死に、ばあさんは一人暮らしだ。しかし、籠橋家ではばあさんを生きたご先祖と思い、毎週ご機嫌うかがいをする。最近は子供たちもご先祖は大切だと思い始めたらしく、ひーちゃん、はーちゃん、なーちゃんも時々ご機嫌うかがいをする。

 ばあさんも心得たもので、繰り返し繰り返し同じ昔話をする。毎回微妙に変化し、今ではかなり尾ひれがついている。死んだじいさんはとんでもないろくでなしになったり、とんでもない人格者になったりしている。

 ばあさんは熱心に話すが、同じ話なので聞いてる側は時々眠りながら話を聞く。しかし、ばあさんは「そんなの関係ない。」なんて感じで話を続けている。