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№900 アインシュタイン

 私は子供のころから物理や数学の世界にあこがれてきた。最近は製造業の人たちと接することが多くて、工学的な知識を聞くとなんとなくわくわくする。物理に限らず化学や生物などおよそ自然科学に関する話はおもしろい。なんで自分は法律の世界に身を置いているのだろうと時々後悔することがある。

 何がおもしろいと言っても、その世界の想定外の合理性や革新性がおもしろい。
 例えば,トラ。その模様はシマ模様だ。その模様から密林やブッシュではトラは見えなくなる。獲物たちはトラが突然現れたと感じるだろう。シマ模様はかように合理的にできている。生物のしくみには必ず根拠があり、人には思いもよらないメカニズムがある。トラなくして私たちはトラの模様を思いついただろうか。自然科学の世界には常に根拠があるし、必要から来る現象は常に明快で革新的だ。

 アインシュタインの議論などは私などは到底理解できるものではないが、岩波新書ブルーバックス程度のことはわかる。空間を実在だと言ってみたり、空間が曲がっていると言ったり、時間がゆっくり進む、光より早いものはない、質量はエネルギーと同じなどいうのは常人にはとうてい思いもよらない発想だ。その奇妙な発想が現実の世界を説明できるとは実におもしろい。

 進化や生物の多様性だって興味はつきない。コウモリの空を飛ぶメカニズムは鳥とよく似ている。しかし、鳥は繁栄してコウモリはマイナーな存在になっている。それらは適応能力の違いがあるのだが、その決定的な違いは「空を飛ぶ」という目標に対する体の組織の基本設計に思想的な違いがあるからだ。設計思想の優劣が鳥とコウモリ、鯨類と魚の繁栄を左右させている。

 私はかねがね、自然科学に最高の哲学があると考えている。時には愛や正義と言った倫理だって自然科学をもとに説明されるべきだと思うことがある。そんなのは冷徹な話だと思うかもしれない。科学が生み出す悲劇、戦争や核爆発といった悲劇を生み出したのは科学かもしれない。しかし、それは科学が冷徹なのではなく、科学が未熟で愛や正義を説明できないからだと考えるようにしている。

 ソクラテスプラトンデカルトニーチェもいいかもしれないが、宇宙を説明するのは自然科学だと思っている。