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№886 成果への意欲(The spirit of perfomance)

№886 成果への意欲(The spirit of perfomance)
 ドラッカーは言う(「マネジメントⅢ」日経BP社、189頁)。
「組織の目的は、平凡な人材から非凡な成果を引き出すことである。
 組織は、天才を頼るわけにはいかない。天才はいつの時代にも一握りしかおらず、そのような人材の確保できるかどうか不透明なのだ。それよりも、平凡な人材から、期待以上の成果を引き出したり、強みを伸ばしたり、各人の強みを仲間の成果向上に役立てたりできるかどうかが、組織の腕の見せ所である。同時に、ひとりひとりの弱みがもたらす悪影響を抑えるのも、組織の仕事である。成果への意欲がみなぎっているかどうかにこそ、組織の真価は宿っている。」

 この場合の成果(perfomance)というのは何だろうか。
  企業においては「利益」ということになるだろうか。ドラッカーの考え方によれば利益は目標ではなく、活動の制約要因であるという考え方だ。事業は利益の範囲でしか活動できない。事業が社会に貢献して成果を上げるのであるが、その成果も利益の範囲に制約されてしまう。そうであるならばドラッカーの言う「成果」というのは社会との関係で有益とされたもの、利益に限定された社会貢献度、顧客のウォンツ(要求)に応えた結果ということにはんだなるだろう。
 
 しかし、一方で、営利企業にとって社会貢献の尺度はその商品が消費者から支持されたかどうかによって決められていく。成果物とされたものが、企業目的の「成果」として正当性を持つかどうかはやはり、その行動がどの程度の企業利益に直結したかによって判断せざる得ない。このように、利益と成果とは不即不離の関係に立つのであるが、あくまで成果は社会との関係で有益とされるかどうかと言う尺度によって判断されなければならず、利益は成果をはかる基準の一つであったり、成果に対する制約要因でしかいない。

 話を組織の役割に元に戻して、組織が意欲にみなぎっているというのはどういうことだろうか。
 組織とその構成員の関係は「責任」によって関係づけられる必要がある。企業の明快な目的があって、各構成員はその目的を実現するためにいかなる成果を上げることを使命とする、構成員は使命に従って自らの責任で判断し行動する風土が必要だ。

 ドラッカーはそこでの成果基準は高くなければならないという。「組織が健全であるためには、何よりも、高い成果を求めなければならない。」高い成果は一時的な天才的は活躍ではなく「組織」として持続的に平均的に成果をあげる水準でなければならない。組織は常に「ほどほどでよい」という誘惑にかられ、ほどほどでよいという積み重ねがやがては組織の規律を揺るがし、組織の不健全につながっていく。

 また、組織の意欲は達成感によって生み出されていく。成果基準が明確であって始めて達成の有無が判断され、成果が組織によって評価されることによって個人は達成感を得ることができる。評価にはもちろん昇級や報酬が含まれている。社員は仕事だけのために会社に来るわけではない。仲間がいることで社会との関わりを得ることができることも目的である。だから、成果が仲間の間でも認められることが意欲を引き出す上では必要なことだ。さらに、自分の仕事が社会に受け入れられているという意識も必要だろう。

 ドラッカーは成果への意欲が引き出されるためにマネジメント層の高潔さを求める。「一緒に仕事をする人々、とりわけ部下たちからは、ものの数週間で高潔さの有無を見抜かれてしまう。能力や知識の不足、自信のなさ、不作法などは、大目に見てくれるかもしれない。だが、高潔さの欠如は許されない。しかも部下たちは、そんな高潔さに欠ける人物を重用した経営トップにも、不審の目を向け始める」

 組織の意欲を引き出すことはマネジメントの究極の課題だ。ドラッカーはこのテーマにかなりの労力を割いていて、なかなか全部を理解することは難しいな。