№875 たまにはお魚はいかが? その3
田植えという人の文化を、ナマズがどうやって知ったのか分からない。しかし、ナマズは確実に田植えの日を知り、田んぼにやってくる。大きな魚が水を張った田んぼを目指して移動し、浅い田の中で交尾する様子は不思議な光景だ。人はうまくやれば、自然と仲良くなれるというよいお手本だ。
もっとも、最近では土地改良事業が進み、田んぼは小川から水を引かなくなった。最近の田んぼの水は地下の水道から引く仕組みになっていることが多い。水路はコンクリートパネルになっているし、田植えシーズを過ぎると水がなくなる。畦はコンクリートになっている。農水省は生き物のことなど考えないため、田んぼから生き物たちが消えつつある。「春の小川」は日本から姿を消しつつある。悲しいことだ。
ナマズの絵と言えば、なんと言っても「瓢鮎図(ひょうねんず)」だ。「鮎」はなまずと読ませる。ひょうたんもふざけた形なら、ナマズもふざけている。このふざけたところがいい。時の室町将軍、足利義持は 「ただでさえ捕まえにくいなまずを、こともあろうに瓢箪で捕まえようとする。」この矛盾をどう解決するかという難題を絵に描かせたものらしい。
さすがに禅問答で、難問に対して、高僧たちが回答出すが、見てもなんだかさえない。ともかく、この絵は室町時代、漢画の最高傑作の一つだとされている。私の回答は、ひょうたんもナマズもどうせ捕まえることができないからほっとけという感じかな。あると思うからあるし、できると思うからできない。何も無ければ何も無い。
インドネシアや東南アジアにはたくさんのナマズがいる。南米アマゾン川にもたくさんいて、熱帯魚として珍重される。スマトラ島に行ったとき、市場ではたくさんのナマズが売られていた。タイ人はナマズが大好きでやたらとナマズを食う。タイの正月ソンクラーンではメコン川でとれた巨大ナマズ(3mを超えるらしい。)を食べると幸福になるということだ。