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№730 春と言えば,タンポポとスミレ

№730 春と言えば,タンポポとスミレ
 我が家の庭ではスイセンがそろそろ終わり,赤いチューリップが旬を迎えている。もうすぐエゴノキが咲くだろう。名前を忘れてしまったが,黄色の小さなバラの花が,もうすぐたくさん咲く。

 京都に住んでいた頃,北白川から瓜生山,さらに比叡山に連なる里山を歩くのが習慣だった。京都の里山の多くが寺社の所有になっていて開発を免れている。里道があるのだかないのだかわからないような所を歩いていくと多様な樹木に驚く。

 林の中をむやみに歩くと,ときどき,木が無くてぽっかりと穴の開いたような場所に出会う。小さな広場のようになっている場所があるから不思議だ。春先は葉がまだ芽だから,そんな場所は日差しがよく入る。寝転んでじっとしているととても不思議な気持ちになる。全く音がせず,落ち葉のにおいがあり,よくみると,シュンランやカタクリが咲いていたりして驚く。

 春と言えば,タンポポとスミレだ。タンポポはきれいな花だと思うのだがどうも雑草扱いされてかわいそうだ。籠橋さんちの庭にはいくつかタンポポが生えていたのだが,ばあさんが遊びに来たときに,全部抜かれてしまった。抗議してもばあさんには通じない。抜いてあげたのに馬鹿なことを言うんじゃないぐらいに思っている。

 狩野派の絵や,錦絵にはずいぶんタンポポが描かれている。ばあさんの実家は農家だったが,私が幼児だった頃,遊びに行って,そこにある茶色のシミのはいった掛け軸にタンポポが描かれていたことを覚えている。

 自然と対話するというのはずいぶん日本的なことのように思う。19世紀,アメリカではミュアーやソローなどが森の中にスピリッツがあると言っていたが,そんなことは日本では縄文時代から当たり前だった。

 西洋の森にはニンフやこびとがいたが,日本にもいたかもしれない。でも,日本の精霊たちは特別なニンフのように人格を持つ必要なかったように思う。人の方が自然に溶け込んでいき,自然の中に消えていくというのは日本流だ。

 タンポポタンポポの様に,スミレはスミレの様に,人は人の様に,名前など必要のないぐらいに溶け込んでいくのが「自ずから然り」の心持ちだろう。