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№570 史記列伝

№570 史記列伝
 長い時間をかけて史記列伝を読み終えた。司馬遷は紀元前145年に生まれたとされている歴史家で、有名な「史記」を完成させている。中国の様々な歴史書の中でも屈指の名作であり、古今様々な評釈がされている書物だ。
 
 史記は本紀、書、表、世家、列伝と分かれ、列伝は人物評である。だいたい中国春秋時代から漢代までに英雄、豪傑の外、重要と思われる様々なタイプの人物を描いている。「游俠列伝」では殺し屋のことが取り上げられているし、「滑稽列伝」では道化役者のことが描かれている。
 
 このブログの関係から言えば、「貨殖列伝」が重要かも知れない。これは、だいたい一代で巨万の富を築いて国をも動かすほどの実力を蓄えた商人たちのことが記されている。ここでの司馬遷は「倉廩(そうりん)実ちて(みちて)礼節を知り、衣食足って栄辱を知る」(管子)を引用し、何事も利益が出なければ礼節はできないとしている。
 
 このあたりはドラッカーが利益は社会にとって必要なものだと言っているのによく似ている。社会保険や国防などの社会的サービスは「生産活動の余剰、つまり、経済活動をとおして生まれた価値とかかったコストかの差額を回さなくてはならない。」とし、社会、経済にとって利益は必要だと言っている(マネジメントⅠ、198頁以下)。
 
 司馬遷は名宰相太公望の政策を紹介している。太公望は「女の手わざを奨励し、技術を進歩させ、魚や塩を運ばせた。」すると、物流が生じて、さらに国に富が集まったと記している。こうして斉の国をとませた結果、国力も充実し、諸侯が斉に敬意を表しにやってきたという。
 
 史記はいろいろな商売人をあげてその教訓を記している。その中の一人に蜀の卓氏がいる。卓氏は趙に住んでいたが趙が秦に滅ぼされたため、強制的に移住を迫られた。多くの人が、役人に賄賂を送って趙に近い場所を求めたのに対し、卓氏は趙から離れた蜀に移転させられるよう求めた。
 
 それは、蜀は肥沃な土地柄で、商売が盛んであるため、自分の持っている鋳造技術で大きな商売ができるだろうとにらんだからである。卓氏は蜀で鉄の鋳造を始め、大いに商売は栄え、その生活は大名にまがうほとになったということである。
 
 つまり、自社の強みを見抜き、どこに顧客がいるか市場を考え、的確に商売を始めたということですね。