№483 ドラッカーの落とし穴
ドラッカーを読み始めて驚くことが多い。彼の考えが「自由」という思想で貫かれていることと、マネジメントの関する精緻な分析力は魅力的だ。ドラッカーの「自由」は組織が大きな影響力を持つ現代社会の中での「自由」のあり方を示している。
ドラッカーを読み始めて驚くことが多い。彼の考えが「自由」という思想で貫かれていることと、マネジメントの関する精緻な分析力は魅力的だ。ドラッカーの「自由」は組織が大きな影響力を持つ現代社会の中での「自由」のあり方を示している。
例えば、ドラッカーは「戦略的プランニング」という言葉掲げる。長期、短期の目標を定めて、今を何をするべきか、行動したか、行動は検証されているか、検証されて修正されるべきかといった、「今」の判断を重視する。つまり、マネジメントの展開するべき方向、いろいろ分析する上で総合し、「今」向かうべき、行動するべき方向を示す。それがマネジメントの展開するべき方向だ。
例えば、ドラッカーは働き手に達成感を得させることが大切だという。「仕事」は「仕事する」とは違う。労働の結果は成果であるが、労働の担い手は労働者という人だ。マネジメントの役割は、「仕事」という成果を追及するだけでは成果はあげられず、成果を生み出す人が達成感を得る組織運営も必要だという。人は自由であり、満足を求める存在だというのである。
このように、ドラッカーはマネジメントを精緻に分析し、マネージャー(社長ら)の行動すべき方向を指し示す。それは学問的作業だ。ドラッカーを読み過ぎていると、常に対象が客観化され、私たちが扱っている組織、構成員まで客観化してしまう。
なま学問の誤りは、客観化してしまうことが正しいと思ってしまうことだ。ドラッカー流に客観化し、精緻化することにこだわりすぎる余り、客観的にドライに割り切ることがドラッカー流だと勘違いしてしまうことだ。(客観化というのは分からないことがまだあるということを認識する点で謙虚な作業だと思うですけどね。)
それは、組織を操ることばかりに終始し、義理とか、人情とか、愛情とか、悲しみとか喜びとか、こういった社長も含めて人の幸福の原点を忘れてしまう危険だ。権謀術策ばかりで、マネジメントは人を操る技術だなどとと思い、まるで神様のような気分で人を操ろうなどと思わないことだ。