№195 宇宙へのあこがれ
私はいつも宇宙にあこがれている。
中学校の時に,「物理学はいかにして創られたか。」というアインシュタインの本を読んだ。相対性理論を一般市民向けにわかりやすく書いた名著だ。「場」が実在するとか,空間が曲がるとか,光の速度が一定であるとか,時間が遅れるとか,それはそれは不思議な話だった。
ブルーバックスは私の愛読書で高校時代ぐらいからかたっぱしから読んでいったことがある。マックスウェルの悪魔だとか,不確定性原理だとか,奇妙な話が現実の世界であることにどれほどわくわくしたことか。
粒でもなく,光でもなく,確率的に存在するなどということはシロウトにはおよそ不思議という以上に理解できない。しかし,それがダイオードや超伝導といった現実の世界を説明していることが重要なのだ。それは意味不明な哲学者の議論とは根本的に異なる。
もっとも不思議なことは宇宙の果てだ。宇宙が閉じて,どこまでもまっすぐ行けば,自分の頭にぶつかるだとか,宇宙の始まりに特異点があるそうだが,始まりもなく終わりもないとか,時間がないとか。何でも吸い込んでしまうブラックホールとか。
私の場合,「寿限無」と唱えてありがたがっているようなものですな。
寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
やぶら小路の藪柑子(やぶこうじ)
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E9%99%90%E7%84%A1