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№152 コンパクトシティと京町屋

№152 コンパクトシティと京町屋

 コンパクトシティと言えば,京町家(まちや),が典型と言えば典型だろう。

 京都の町家平安時代中期頃から発達し,江戸時代中期には今日言われている京都のまちなみになったと言われている。紅殻格子(べんがらこうし)に、虫籠(むしこ)窓,ウナギの寝床と言われる木造家屋が並ぶ様子は京都独特だ。路地(ろうじ)や辻子には京都ならでは独特の風情がある。いまでこそ,京のまちなみはすたれてつつあるのだが,かつては非常に美しかった。江戸時代末期,西洋人が初めて京都に入ったとき,まちなみの美しさに驚嘆したという。

 この美しい京の町家は職住一体型の住居形式に由来する。西陣京友禅のように京の都心部には繊維産業が発達していた。京友禅などの工程は非常に複雑で「画」の考案から始まり,ゆのし,検尺(ケンジャク)・墨打〈スミウ〉ち,仮絵羽仕立て(下絵羽),下絵,糊置,伏糊,引染(地染め),蒸し,水元〈ミズモト〉(水洗い),挿友禅〈サシユウゼン〉,金彩,刺繍,仮絵羽仕立てといろいろだ。それぞれの工程には専門の職人があり,悉皆屋といわれる人がいろいろ手配している。これらの職人が一つの町に住んでいて京の町家を作ってきたのである。最近の京都のまちなみが失われているのは,繊維産業が廃れ,あるいは都心部から無くなって行き,町を支える人たちがいなくなったからである。

 祇園祭は日本の祭りの中でも特別のように思う。この祇園祭を支えたのが京の町衆と言われる人たちだ。繊維産業で富を得た商人たち,まちに集まってきた職人たちが町を作り,祇園祭を作り上げていった。山鉾に飾られるペルシャ絨毯は安土・桃山時代以来のものであり,国際都市京都の面目を作っている。この祇園祭も都市の空洞化によって年々維持するのが大変になっている。都心部にはマンションができあがり,伝統の担い手は少なくなっている。

 このように,町に人が住むというのは町の文化にとって必須のことだ。それも,町に住む人が豊かであることも必須のことだ。何も金持ちでなければだめだというのではない。産業があって,町に住む必要があり,文化ができて町が好きになり,さらに産業を発展させると言ったよい循環が必要なのだ。