京セラフィロソフィでは「有意注意で判断力を磨く」という教訓が語られます
どんなことでも真剣に考えようという日常的な努力が習慣化し、感覚が研ぎ澄まされていく、ちょっとしたことでもその意味を探り、大きな発見や成果に結びつけていく、こういった作業が有意注意の意味だといいます。
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「有意注意」にはいつもストレスが必要?
いったい、有意注意というのは、こんな努力をしなければ生まれないのでしょうか。確かに、素晴らしい仕事をするためには質の高い努力が求められます。技術も努力無くして向上しません。しかし、この努力は修行僧のように集中しなければならないという訳でもないように思います。
「有意注意」は楽しいときに生まれる
例えば本田宗一郎はバイクが大好きでやがて世界のホンダを発展させました。自分の仕事が好きになり、仕事が成果を生み出すことと自分の人生の発展が同じ意味になるときに、努力は楽しく、いつも仕事に注意が向いていることでしょう。
楽しいとは仕事が楽しいという意味
さらに、組織での自分の役割を果たすことが自分の仕事であり、人生であると認識できる人は、組織が何か新しいものを生み出したり、組織が病んでそれが立ち直っていくことに貢献できることに喜びを感じるでしょう。
組織の声を聞け
これを組織の側から見れば、人々誰でも組織の声を聞けると確信し、自分の人生と組織の発展を重ね合わせることができるような組織のあり方がなければ、人々は自分の人生を組織にかける気持ちを半減させてしまうことでしょう。
つまり、有意注意は組織が人々の人生を約束するものである場合に個々の人々に生まれるように思います。